カテゴリ:学生運動
今年、腹がたったこと・・・・・重信房子の出所と居直りは、許せない!! 2022-12-17 はんぺん 今年最大に、腹が立ったことは、2022年5月28日に重信房子が、出所したことだ・・・・・と、前にブログに書いた。 逮捕時、出所時のテレビ報道を見る限り、英雄気取りの彼女に(反省する勇気)が、あるとは微塵も感じられなかった・・・・・・
彼女は、自分たちの犯した(大罪!)について、まるで分かっていない・・・・どころか、おそらく、死ぬまで理解できないであろうと思われる。
赤軍派は、共産主義者同盟(ブント)の流れをくむ極左集団だ。 「赤軍派は、1969年9月4日に政治集会を開いて結成を宣言した。そして翌日の日比谷野外音楽堂の全国全共闘結成集会に初めて登場し、秋の『前段階蜂起』を主張し、「世界革命戦争」の防御から対峙に向かう世界党、世界赤軍建設」を主張した」(『日本赤軍私市』重信房子著 38ページ)。
今から思うと、なんと(バカバカしい妄想)だとわかるのだが・・・・(ML主義)(革命)に取りつかれた当時の(思い込み)を誰も止めることはできなかったのだ・・・・
わが大学の全共闘グループの無法も、直接目にすることになる・・・・・僕のすぐそばに(狂気)があったのだ・・・そして、誰もそれを止められなかった!! それは、機動隊導入などにより、(大学自治)を破壊し、引いては(日本左派総体)の凋落の引き金になっていった・・・・ 彼らの犯罪性は、際立っていたのだ。。。。
あの60年安保闘争直後の国政選挙での、社会党を中心とした野党の惨敗、70年の暴力学生出現後の国政選挙での自民党の圧勝・・・・国民は、バカではなかったのだ・・・・・ 多くの内ゲバ殺人事件(100人以上が殺されている)、よど号ハイジャック、あさま山荘事件、山岳アジト事件・・・・・(狂気)が、国民を震撼させた結果のことは、間違いないと思う。その後の国政選挙でも、自民党の圧勝は続いた。
赤軍派をはじめとした極左集団による蛮行に対して、リベラルたちは、率先して糾弾反撃するべきであったが、彼らの多くは右往左往していたのではなかったか??
日本共産党の「暴力学生泳がせ論」「トロツキスト泳がせ論」は、間違って無かった・・・・と今ではいえると思う。結果として・・・・保守側は、極左集団を利用して、左翼総体を抑え込むことに、成功したのだから・・・・
重信房子の「日本赤軍私史」には、口先で「多くの無関係の市民に迷惑をかけた」「反省」すると言いながら、何度も居直り続けていることについて、僕は許せない!!
くどくどと綴られており、見苦しい限りなのだ。彼女の人生の最終版は、おそらく(言い訳)に終始するような、情けない終末を予感させる・・・・
「日本赤軍は、2001年、日本赤軍誕生の5月30日に解散いたしました。日本赤軍の政治的・道義的責任を負うものとして、過去の責任をこれからも考えていきたいと思います。その思いも込めて、私たちの闘いの未熟さの中で、被害を与えたすべての方々に深く謝罪します」(『日本赤軍私市』重信房子著 479ページ)。
ほとんど、彼女の著作の中身は、自分たちの(正当性)に言及していて、(反省)なるものは(わずかに覗かせて!)済ませている・・・・ずるがしこさが、目について、僕は気分が悪くなった・・・・・
彼女は、上記の文書に続けて・・・・「反帝 反シオニズム 反イスラエルの闘いに協同したアラブの地における日本赤軍の闘いは、時代の条件の中で、正当な意義と役割をも負っていました。」(『日本赤軍私市』重信房子著 479ページ)。
人生の大半を誤った道に踏み入れてしまった彼女が、自身のこれまでの行いを全否定されることの恐ろしさは、だれよりも感じているだろうし、自分たちの(正当化)しか、残された人生の目標は見つけられないのだろう・・・・・
戦後日本歴史の中で、日本赤軍の、極左集団たちの果たした役割については、今後も、何度も審判にかけられることになるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.01 02:03:08
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