カテゴリ:社会主義
ロシア軍による「拷問部屋」が、続々、見つかる。戦争犯罪を続けるロシアに寄り添うMSDや、アサートのホームページは、それでも、プーチンを庇(かば)うのか?? あなたたちの(大義)は、すでに瓦解した!!!! 2023-1-23 はんぺん 全体主義による侵略戦争を非難してこなかったリベラルを、僕は許せない。彼らが(人権)(民主主義)をそらぞらしく叫んでも、誰も信用しないだろう・・・・・(2枚舌)が、リベラルの十八番(おはこ)だとしたら、あまりにも悲しいことだ。
(社会主義幻想)に洗脳された彼ら自身が、今度は、洗脳する側に回って、害毒をまき散らしていることに、人間の弱さを見る思いだ・・・・・
僕の(護憲幻想)に振り回された期間は、人生の半分を占めている。高校2年生のベトナム反戦運動時から、新社会党に見切りをつけた2003年ごろまで およそ35年間ほど・・・・・ 何を間違ったのか?というよりも、どうして(なぜ?)(なぜ?)という疑問に、真摯に向き合ってこなかったのか・・・・・という、後悔だ。
ヒューマニズムから社会問題に目覚めたベトナム反戦運動は、総体としては、間違ってなかったと思うが、南ベトナム解放民族戦線の真の姿を見破れずに、後悔を残してしまった・・・・・
社会主義幻想が、バックにあったことは、今になって悔しいが、確信を持って言える。(民青)や(反戦高協)の稚拙なオルグが、右も左もわからない高校2年生の僕の白紙然の脳みそに、インクが染みわたるように浸透していった・・・・その色メガネを通して、ベトナム人民の闘いを見続けていくことになった・・・・
(社会主義)が、大きな顔をして、社会を席巻していた時代・・・・(社会主義)をめぐる論争は、巷に溢れていたが、(社会主義そのもの)に対する批判は、小さかった時代。 人生を振り返っては、後悔しきりだが、それでも生が尽きるまで前進するつもりだ・・・・
皆さんは、どう総括されているか?? はんぺん ―――――――――――――――――――――――――――― 住民恐怖の「拷問部屋」。 電流を流したり、ガスマスクで呼吸困難に 2023/1/5 産経新聞 ウクライナが奪還した南部ヘルソン州では少なくとも七つの「拷問部屋」が見つかった。拘束対象はウクライナ軍や警察ら当局者の家族、地元のビジネス関係者、抗議デモに参加した市民と広範にわたった。司法当局は、住民に恐怖を与えて占領を進めようとしたとして、戦争犯罪を視野に捜査を続けている。
ヤロスラフ・ミンコ検事(30)が5日までに取材に応じ、州都ヘルソンで見つかった拷問部屋の一つを公開した。暗い地下の部屋には手書きで乱暴に番号が振られ、監獄を想起させた。
ロシア軍は昨年3月にヘルソンを制圧した。拷問にはウクライナ軍を降伏させるための情報収集や人質として利用したり、ロシア側に協力させたりする狙いがあったとみられている。
拷問には電流を流したり、ガスマスクで呼吸を困難にしたりする方法が取られた。(ヘルソン共同)
――――――――――――――――――――――――――― ロシア軍による「子供の拷問部屋」の内部と、そこでの所業が明らかに。 ウクライナ南部へルソン 2022年12月16日 ダニエル・オング Newsweek 日本版 <ロシア軍に抵抗したウクライナの子どもたちが連行され、拷問や心理的虐待を受けていたという。その内部の様子とは?>
ウクライナ軍がロシア軍から奪還した南部ヘルソン州で、ロシア軍が占領中に使用していたとみられる子ども用の「拷問部屋」が発見された。内部の様子や、そこで行われていたおぞましい行いの一部も公開され、その非人道的な内容に批判の声が高まっている。
ウクライナ議会人権委員会のドミトロ・ルビネツは、12月14日に国営通信社「ウクルインフォルム」のメディアセンターで行った記者会見の中で、ロシア軍に抵抗した子どもたちが、これらの部屋に入れられていたと説明。破壊されたロシア軍の装備の写真を撮っていたことを理由に、14歳の少年が拘束されて拷問されたケースもあったとつけ加えた。
ルビネツは「子どもの拷問が確認されたのは、これが初めてだ。拷問部屋はヘルソン地域に全部で10カ所見つかり、そのうち4つは州都ヘルソン市内にあった」と述べ、さらにこう続けた。「このうち1カ所に、子どもを連行する別個の部屋があった。大人用の部屋との違いは、床に薄い布団が敷かれているところだけだった」
またルビネツは会見の中で、拘束された子どもたちはほとんど食事を与えられず、水も1日おきにしか与えられなかったと述べた。さらに子どもたちは、「親はお前を見捨てた」「家には二度と帰れない」などと言われる「心理的虐待」も受けていたと説明した。
「ブチャよりもひどいところがあった」
ニュースサイト「ウクラインスカ・プラウダ(ウクライナの真実)」が翻訳して報じたところによれば、ルビネツは「(大勢の民間人が殺害された)ブチャよりもひどいところはあり得ないと考えていたが、ヘルソンでそれを見た」と述べた。
ルビネツは、子どもたちがどれぐらいの間「拷問部屋」に拘束されていたのかや、拘束されて死亡した者がいたかどうかについては、詳しいことは明らかにしなかった。
ウクライナでは、ヘルソンやハルキウ、ドネツクなど、ロシア軍から奪還された地域で数十の拷問部屋が発見されており、ヘルソンだけでもこれまでに4カ所の拷問部屋が発見されている。ネットメディアの「キーウ・インディペンデント」がヘルソン州の主任検察官であるウォロディミル・カリユガの言葉を引用して報じたところによれば、拷問部屋は、ロシア連邦保安局(FSB)が占領していた拘置所やウクライナ保安庁の旧本部建物、政府庁舎の中にあったということだ。
9月に奪還されたハルキウ州では、ボルチャンスク、クプヤンシク、ベリキー・ブルクやイジュームの町などで、これまでに22カ所の拷問施設が発見されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.29 01:05:30
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