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2023.04.18
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カテゴリ:社会主義

現実を見ないリベラルに(反省する勇気)は 持てない。彼らに政権を執ってほしくない・・・・・とつくづく思う。    2023-4-18   はんぺん

(平和憲法では、日本を、いや世界を守れない)と言ってきた。

昔のことだが、(平和憲法を 第9条を世界に広めよう・・・・)という信じられない暴言を吐いたリベラルがいた・・・・・・昔というのは、間違いで(今もいる)というのが正しいだろう・・・・・

 

想像力に欠ける面々のことだ。頭の中で(革命)を成就する面々のことだ。

毎日の新聞・テレビを観ないか、観ても理解できない面々のことだ。

 

彼らが、高学歴であることは意外ではない。日本赤軍・連合赤軍のアホな(兵士たち)も一応、高学歴だった。オウム真理教の洗脳を受けた(幹部たち)も一応、高学歴だった。

高学歴と言っても、たかだか(大学出)という程度のモノであり、僕が、このブログで何度も言ってきたように、所詮、(青二才)だったのだが、変なプライド?のためか、素直に(過ち)を認めようとはしなかった・・・・(反省する勇気)を持てなかったのだ・・・・

 

僕の(不愉快な)先輩の森恒夫率いる(連合赤軍)が、内部で(殺し合い)を繰り返したのも、(青二才)のなせる技だった。

 

学生時代に僕をオルグした諸先輩も、今から考えれば、みんな(青二才)だったのに、セクト争いでは、自信満々の風体で、(指導)していたのだが・・・・極めて(危うい)モノだった・・・・・わけだ。

 

人間は、もともと完成された存在ではない。生まれてから、死ぬまで、精進を重ね、(人生一生勉強)で、過ごすことは、不思議でもいなんでもない・・・・(学び)は、自身の向上に結びつくのであるから、ワクワクする楽しみである。

 

(学び)を止めれば、人間の進歩は止まってしまい(同じ過ち)を繰り返すことになる・・・・今のリベラルたちのように・・・・・だ。

 

(平和憲法では、日本を、いや世界を守れない)というのは、ウクライナ戦争が、証明したとも言える。自分の国民の生命、国土、歴史、文化などを守る努力なしに、頭の中で(夢想)するだけでは、(屁のツッパリ)にもならない・・・・これが、真実だ。

 

この時代に(護憲)を叫ぶなどという馬鹿げたスローガンを掲げること自体が、自殺行為であると僕は、断言できるが・・・・

 

皆さんは、どう思われるか?    はんぺん

 

――――――――――――――――――

銃撃された救急車、殺された女性 火炎瓶作る修理工「怖さより怒り」  キーウ=高野裕介2023-2-17   朝日新聞

 昨年2月にロシアによる侵攻が始まると、ウクライナでは前線から離れた場所でも、市民がそれぞれの戦いに動き始めた。装甲車を覆う偽装網や防弾チョッキを手作りする人々もいた。技術を生かし、自分なりのやり方で防戦に貢献しようとする市民に話を聞いた。

 

キーウ、バイク修理工バレリー・デシャトニクさん(33

 私は戦争前、「アウトロー・ガレージ」という名前で、カスタムバイクを作っていました。ここにあるバイク、日本のホンダのものですよ。

 

 ロシアが侵攻してくるのは時間の問題だと思っていました。ジョージアに侵攻しましたからね。ロシアはテロリスト国家です。

 

 侵攻が始まった昨年224日、ウクライナ軍の事務所に行きました。もちろん、戦場に立つためです。でも、私は軍での経験がないので、断られてしまいました。

 

 そこで、仲間と火炎瓶を作ることにしたんです。全部で600本くらい作って、軍がいる検問所に渡しました。溶接もできるので、戦車用のバリケードも作ったんですよ。

 兵士らが使う車の修理もします。

 

多くの市民が私のように戦おうと思ったのは、怒っているからです。怖さよりロシアに対する怒りが勝ったから。ここにはずっと、ロシアと対立する歴史があるのです。

 

 壊れた家庭用ボイラーなどの廃材を使って、簡易ストーブを作ることも思いつきました。昨年の冬は寒かったですからね。多いときには8人の仲間が参加しました。これまでに約350台、前線も含めてウクライナ全土に送ってきました。みんなで協力できるよう、作り方を見せた動画も撮ってSNSに投稿しました。

 

 お金をくれる人もいますが、基本的にはボランティアなので、資金面ではつらいです。でも、ウクライナ軍の部隊からは感謝状や、部隊のワッペンが届きました。自分のできることをやって感謝されているので、とても満足しています。

 

 ただ、(キーウ郊外の)ブチャやイルピンで使われていた救急車の燃料タンクを修理したときはつらかった。その救急車では、激しい銃撃を受け、乗っていたボランティアの女性が殺されていたんです。その話を聞いて、溶接用のマスクの下で、泣きました。

 

 私の人生は、侵攻の前後で何も変わっていません。妻も両親も、生きているから。変わったことが一つあるとすれば、多くの人が他者に優しくなり、助け合えるようになったことだと思います。

 

 ある日、道路にジャーマンシェパードのような大型犬がいたんです。飼い主からはぐれたのでしょう。そばにいた女性と話し、「可哀想だから飼い主を捜しましょう」ということになりました。

 

 2日間もかけて、飼い主を見つけました。戦争の前なら、こんな風にできなかったかもしれません。彼女はロシアの猛攻を受けていたハルキウ州からの避難民でした。彼女自身がつらい光景を見てきただろうに、そんな風に優しくなれたんです。(キーウ=高野裕介)

――――――――――――――――――――――――――――

「死ぬときじゃない」戦時下でライブ。妻と再会の日に書きたい詩は  キーウ=高野裕介2023-2-8   朝日新聞

 ロシアによる侵攻は、多くの市民の日常を奪った。過酷な日々のなかで、それでも、心豊かな暮らしを続けようと、音楽を奏でる人たちがいる。なぜ歌い続けるのか。一人のミュージシャンに話を聞いた。

 

キーウ、ミュージシャンのイブハン・チジェブスキーさん(39

 ロシアの侵攻が始まる前、妻のハンナ(35)はずっと心配していました。私はそんなことが起きるなんて思わなかった。2019年から3人の仲間とバンドを組んでいて、「新しい曲のレコーディングをしよう」と言っていたんです。でも、妻があまり心配するので、とりあえず荷物をバッグに詰めてはいました。

 

 224日の早朝、何度も爆発音がしました。妻はパニックになってしまい、私は落ち着かなければ、と思いました。その後だって、私は愛犬のマルガリータの散歩に行ったんですよ。

 

 でも結局、その日の午後にキーウ南郊にある妻の実家に避難しました。普段なら車で2時間の距離ですが、渋滞がひどくて67時間もかかりました。そこで3週間ほど過ごして、妻を隣国のモルドバに避難させました。その日、シャワーを浴びてコニャックを1本空けました。愛している人と離ればなれになった、これからどうなるのかわからないという不安で泣けてきました。2時間も泣いたんです。

 

 6歳下の弟マキシムは、軍の情報要員として前線に行きました。私はミュージシャンとして何ができるかを考えた。他のバンドと一緒にライブをやって、フェイスブックやインスタグラムで寄付を募り始めました。

 

ライブは今まで10回くらいやったかな。集まったお金で三菱(自動車)の中古のSUVを買って、弟の部隊に寄付したんです。他にも、医薬品を集めて支援団体に渡すなどしました。

 

 多いときには、ライブに500人以上の観客が来るときがありました。みんな、戦争のなかで、心の休息を求めているんです。毎日、悲惨なニュースを見て、心がかき乱されている。戦争を忘れる瞬間が必要なんです。

 

 でも、この現実に目を背け、戦争を完全に忘れてしまう人もいる。私はそれはダメだと思う。だから、戦争について歌っています。ある軍人から詩をもらい、それを歌にしました。「死ぬときじゃない。(ロシアを)殺すときだ」って。

 

 毎日の戦闘が続く中で、歌を歌うことに何の意味があるのかという人もいます。でも、みんながそれぞれに置かれた場所で、やれることをやるべきだと思うんです。私の場合はそれが歌だし、戦場で私の歌を聴いてくれる兵士のためにも続けたい。

 

 もう一つ、大切なことがあります。文化です。ウクライナの文化は歴史的にロシアに抑圧され、消されそうになってきました。そんなことは二度と起こしてはいけない。私たちミュージシャンの中にも、ロシア語で歌うのをやめ、ウクライナ語に変えた人たちもいます。

 

 本当は、「愛」についての歌詞を書きたい。でも、今はそんな気になれない。妻が帰ってきたとき、そして、ウクライナが勝利したときに、その歌をつくりたいと思います。それまで、生きていることを望んでいます。(キーウ=高野裕介)

 

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224日、誕生日祝うはずだった 砲撃、略奪重ねたロシアの勘違い  ボフダニウカ〈キーウ近郊〉=杉山正20232-6   朝日新聞

 ロシアの侵攻は、多くの市民にとって予期していなかった現実だった。ロシア軍は一時、首都キーウ近郊を占領した。故郷が占領された市民に話を聞いた。

 

キーウ近郊ボフダニウカ、国際NGO職員オレーナ・ドロトワさん(48

 戦争が始まった224日は私の誕生日です。会社員の夫とは、レストランでお祝いをしようかと話をしていました。

 

 「何か起こりそう」という雰囲気はありましたが、「まさか」という思いが勝っていました。平穏な生活がかき消されるとは思いもしないものなのです。

 

 前日の23日からキーウにいました。24日早朝に爆発音が聞こえ、戦争が始まったことを知りました。缶詰や医薬品を買いに走りました。事前に何の準備もしていなかったのです。

 

 キーウから車で自宅に戻ると、近所の軍施設は破壊されて煙が出ていました。夫は領土防衛隊に入り、軍兵士として前線に行きました。私は家財を守るために自宅にとどまりました。ロシア軍が私たちの町にまで来たのは、12日後です。住宅に砲撃し、略奪し、市民を殺害しました。

 

 私は何度もロシアに行ったことがあるし、親戚もいる。自宅パーティーにロシア人が来て、政治の議論をしたこともある。考え方は違うけれど、ここまで非道だとは思わなかった。見誤りました。

 

 占領下で10日余りを、屋根裏部屋などに隠れながら過ごしました。ウクライナ軍の救出作戦で退避することができました。ロシアが4月に撤退し、私はまた自宅に戻りました。略奪のため、家の中のあらゆる物がひっくり返っていました。

 

 戦場に行った夫や親類が心配でなりません。休暇で戻ってきた時に一緒に過ごす数日間が、いま最も幸せな時間です。

 

 戦争は早く終わって欲しい。でも、現実的には「どうやって?」と考えてしまう。いくら兵器を支援してもらっても、すぐには終わりません。

ロシアは、いったん引き揚げたとしても、ウクライナを放っておいてはくれないでしょう。ウクライナ政府にも妥協をして欲しくはありません。

 

 私たちは当初、ロシア市民による戦争反対の抗議の声が広がると思っていました。私たちならそうします。しかし、違いました。ロシア市民が声を上げるのは、自分の生活が脅かされた時なのだと思います。ロシア軍はいま、ウクライナの電力施設などを攻撃しています。ウクライナ市民を困らせ、自国政府への抗議をさせたいのでしょう。

 

 ここにロシアの勘違いがあります。もちろん、停電は不便だし、街へのミサイル攻撃もひどいものです。しかし、これでウクライナ市民が降伏する、とロシアが思っているのだとすれば問題外です。

 

 もうすぐ私の誕生日が来ます。ちょうど侵攻から1年です。ロシアがこの日を記念して醜い攻撃をしないことを願っています。(ボフダニウカ〈キーウ近郊〉=杉山正)






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最終更新日  2023.04.20 10:26:51
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