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2024.03.11
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カテゴリ:社会主義

信じられないリベラル派たちの愚かさ。人類社会の進歩を逆流させる障害物と化して、破滅への道を掃き清める彼らこそ、「地獄」に堕ちてほしい!!  2024-3-11  はんぺん

  しばしば思う事がある・・こんな独裁国家の実態を見て見ぬ振りをするリベラル派たちのことだ。

知らなかった・・・で、済まそうというのだろうか?

それは、あまりにも破廉恥な事では無いだろうか?

 

もし、彼らが、この独裁国家の中での民主化の闘士(ナワリヌイ氏)のように逮捕され、このような(地獄)に送り込まれたなら・・・その時、初めて自身の(恐ろしい、これまでの過ち)を 認める事になるのだろうか?

 

それでは、あまりにも遅すぎるというものだろう・・・

 

そう(新社会党)(社民党)(MDS)(アサート)で、全体主義に寄り添う(運動?)続けている彼らの事だ。(MDSとは、民主主義的社会主義運動という、泡沫的社会主義政党の事)

 

日本という平和で、安心して暮らせる社会の中に、生まれたときから住み続けている彼らだからこそ、他人目線、傍観者的目線で、非情な、人権のかけらもない全体主義を容認して、憚(はばか)らない・・・そのような彼らの(罪)は、巨大なモノだ!!

 

学生時代、共にスクラムを組み、シュプレヒコールを繰り返した仲間たちの事を、良く思い出す。彼らは、いったい、どのような(総括)が、出来たのか??

対面して、聞いてみたいものなのだが・・・あまりにも、(社会主義)の洗脳が効きすぎたのか? まともな答えは、期待できないだろうな・・・とも思う。

 

そう彼らの決定的な(過ち)は、すでに(犯罪)の域に達しているのだから・・・・

長年、独裁者、全体主義者たちを 狂喜させ続けてきた(罪)により、彼らの実態は、もはやボロボロのように思える。

 

自己満足の運動が、時代を先取りできるどころか、市民から見捨てられつつある今、まちがいなく弔鐘が遠くから鳴り響き、迫りつつある。

 

皆さんは、どう思われるか?   はんぺん

―――――――――――――――――――――

ナワリヌイ氏は「地獄」にいた。極北の刑務所の実態、元受刑者ら証言  202439日  エカテリーナ・ボディヤジナ アナトリー・クルマエフ/The New York Times 翻訳=城俊雄/朝日新聞

 獄死したロシアの反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏と同じ、北極圏の刑務所で服役した男性5人が、そこでの体験をニューヨーク・タイムズ(NYT)に語った。

ナワリヌイ氏がロシア各地の刑務所の中でも最も非人道的な環境の下で最後の日々を過ごした可能性が高いことが、証言からうかがえる。

 

 電話取材に応じた元受刑者らは、ナワリヌイ氏が19年間の刑期の残りを全うするために昨年12月に移送された北極圏のヤマロ・ネネツ自治管区にある第3刑務所での、耐え難い寒さや不快な食事、不衛生な環境、そして暴力について語った。

証言によれば、ナワリヌイ氏の死亡が宣告された日に同氏が収容されていたとみられる独房は、特に過酷な環境だったという。

 

 同刑務所は「IK3」または「トロイカ」として知られ、受刑者たちがそこで体験する異常な心理的重圧と孤独感ゆえに、ロシアの札付きの受刑者たちにさえ恐れられているという。受刑者の心を折ることを狙い、看守の命令への絶対的な服従が生存の条件とされているという。

 

 同刑務所の独房で過ごした体験を持つコンスタンチンと名乗る元受刑者は「完膚無きまでに心を折られた」と話した。「あの時を思い出すと、今でも冷や汗が出る」と語り、出所後も精神疾患に苦しんでいるという。

 

 NYTがインタビューした元受刑者のうち4人は、過去10年以内に同刑務所での服役を終えた。ナワリヌイ氏が到着する数週間前に出所した人も含まれる。

 

このほか、ナワリヌイ氏が死亡した日に同刑務所にいた1人と、最近出所した人の友人にも話を聞いた。取材協力者たちが報復を受けないよう、フルネームや個人情報などは伏せておく。

 

ナワリヌイ氏は獄中でもユーモアを忘れていませんでした。ただ、記事後半で紹介される元受刑者らの証言からは、刑務所内のあまりに過酷な環境が明らかになります。そして、ナワリヌイ氏の死後の刑務所内の動きも――。

 

死亡宣告の日は27回目の独房入りが予定

 31日にモスクワで埋葬されたナワリヌイ氏は、服役中に時折、刑務所での様子をSNSに投稿していた。皮肉とユーモア、抑制された物言いも手伝ってブロガーからプーチン大統領批判の急先鋒(きゅうせんぽう)となったナワリヌイ氏は、獄中からのSNS投稿でもこうした彼らしさを忘れなかった。

 

 最近はほとんどオンライン形式になっていた裁判へたまに出廷した折には、ナワリヌイ氏はますますやつれて顔色が悪く見えたが、なんとか明るい言動を保っていた。ロシア政府によれば、同氏は216日、朝の散歩中に突然倒れ、自然死したという。

支持者たちは、同氏がプーチン氏の命令で殺されたと主張している。双方の主張とも、裏付けとなる具体的な証拠は提示されていない。

 

 1月のSNS投稿でナワリヌイ氏は、零下32度のヤマル半島での強制的な朝の運動について「午前6時半のヤマルでの散歩ほどすがすがしいものはない」と記した。「セメントの塀があるのに中庭に吹き込む爽やかな風は、あなたがたには信じがたいだろう」

 

 ナワリヌイ氏は2021年に投獄された後、何度も独房に入れられた。同氏が率いた政治運動の広報担当者によると、死亡宣告された日には27回目の独房入りが予定されていた。

 

 こうした独房は「刑務所の管理条件に絶対的に服従するまで受刑者の心をくじく」ように意図されていた、と同刑務所に殺人罪で服役し、独房経験も持つ元受刑者は話した。「地獄だった」。元受刑者らはまた、独房に入れられた受刑者が起床の合図から就寝までの間、ベッドを片付けなければならず、ほとんど一日、立っているか座っていることを強いられていたとも語った。

 

 ツンドラ地帯にある同刑務所はロシアで最も人里離れた場所にあり、厳しく過酷な環境の下で約1千人を収容できる。この環境は拷問にもなり得る、と元受刑者らは話す。同刑務所の悪評は、有罪となった犯罪組織幹部らをここに収容することが暗黙のルールとなっていた旧ソ連時代から続くものだ

プーチン大統領の下では、元石油王のプラトン・レベデフ氏を含む、同大統領の政敵数人が収容された。

 

出所後も常につきまとった死の恐怖

 

 同刑務所で最も過酷なのは厳しい寒さだ。元受刑者らによれば、北極圏の夜に暖を取れるものはボロボロの配給毛布1枚だけという時もよくあったという。元受刑者の2人によれば、いくつかの独房の壁には暖房機の絵が暖房代わりに描かれていたという。

 

 ロシアの刑務所の基準からしても、食事は特にひどかったという。

「あの粥(かゆ)はとても食えたものではなかった」と、前出の元受刑者、コンスタンチンさんが口汚く話した。

 

 刑務所当局はまた、あちこちにいる密告者たちから得る情報網を使って、受刑者らの生活のあらゆる面を厳しく管理していた。こうした監視体制が被害妄想や不安をあおっていると元受刑者らは話した。

 

 「あの刑務所では隠し事はできない。すべてがつながっていて、皆が皆のことを何でも知っている」と、麻薬犯罪で服役していたアレクサンドルさんは話した。

そんな環境で他の受刑者全員を脅威と感じるようになり、他のロシアの刑務所ではよく心の支えとなっている受刑者間の共同体意識がずたずたにされた、と彼は語った。

 

 「誰も助けてくれない。頼れるのは自分だけ、という事実を受け入れなければならなかった」とアレクサンドルさんは続けた。

 

 こうした状況は受刑者の心身を慢性的にむしばみ、死を早める可能性がある。元受刑者らによれば、刑務所での死亡率は高く、出所後も常に死の恐怖はつきまとったという。

 

 サンクトペテルブルク出身の女性、アリサさんは、詐欺罪の刑期4年を同刑務所で終えた友人のミハイルさんと22年に再会したが、彼のあまりの変化に誰だか分からなかったという。

 

 服役中のミハイルさんに差し入れを送っていたアリサさんによると「彼はとても魅力的な青年だった」という。「歯を失い、心も折れた状態で帰ってきた。街で私を見かけても、気がつかなかった」

 アリサさんによれば、ミハイルさんは出所の1年後に亡くなったという。

 

互いに顔を合わせることすらない受刑者たち

 

 同刑務所の隔絶された立地と受刑者の間にうずまく疑心暗鬼のため、ナワリヌイ氏の死をめぐる詳細な状況を受刑者たちから聞き出すのは難しい。

 

 先月時点で同刑務所にいたある人によると、ナワリヌイ氏の死亡が報道された当日、看守たちは刑務所の電話サービスの利用を禁止したという。厳格な服役規則のため、携帯電話を隠し持っている者はほとんどおらず、ナワリヌイ氏の死後、受刑者たちは事実上、社会から遮断された状態になっている。

 

 ナワリヌイ氏が死亡した日に服役していた人物は、その翌日、刑務所内のうわさ話でそのことを知ったという。ナワリヌイ氏が死ぬ前にどこにいたかは知らないという。厳しい日課によって、刑務所内の別々のバラックにいる受刑者たちはお互いに顔を合わせることすらなかったからだ。

 

 この刑務所には、独房やその他の懲罰房が合わせて24棟ほどある。

 

 「そこで10年過ごしたとしても、他の誰とも会わず、他の人のことは何も知らないかもしれない」とその人物は語った。ナワリヌイ氏の死に対する受刑者たちの反応について尋ねると「誰も他人のことなど気にかけない。皆、自分のことだけで精いっぱいで、いつこの刑務所とおさらばできるかしか頭にない」と答えた。

 

 それでも彼が指摘したのは、非日常はなんであれ、例えば受刑者の死を受けた連邦政府関係者らの刑務所訪問は、ささやかな息抜きとして喜ばれるということだ。22年に別の受刑者が死んだときのことを、彼は思い出していた。

 

 「冷酷に聞こえるかもしれないが、彼が死んだ後には日常的な暴力がやみ、いくらか日課が軽くなった」と言う。「これはもちろん、受刑者にとっては悪くない」(エカテリーナ・ボディヤジナ、アナトリー・クルマエフ/The New York Times、翻訳=城俊雄/朝日新聞)

 

NYタイムズ、229日電子版)






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最終更新日  2024.03.25 04:25:11
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