カテゴリ:学生運動
こんなに(殺し合い)が、続いたのだ・・・
内ゲバ その2 ウイキペディアから・・・・ 主な内ゲバ殺人事件一覧[122][7] 発生日 事件 加害側 死者側 死者数 備考 1969年7月 中央大学内ゲバ事件 社学同 社学同 1 社学同の内部抗 争で同志社大生が死亡 1969年9月 芝浦工大大宮校舎内ゲバ事件 反戦連合 中核派 1 埼玉大生が2階から突き落とされ死亡 1970年8月3日 東京教育大学生リンチ殺人事件 中核派 革マル 派 1 革マル派は中核派に「階級的報復」宣言 1971年6月 琉球大生内ゲバ殺人事件 民青 革マル派 1 1971年10月 横浜国大内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 美術学院生が殺害される。革マル派は「中核派絶滅」宣言、中核派は「カ クマルに対する全面的せん滅戦争」宣言 1971年12月4日 関西大学構内内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 2 同志社大生・京大生が鉄パイプで殺害される 1971年12月〜1972年2月 山岳ベース事件 連合赤軍 連合赤 軍 12 総括と称したリンチ殺人12名。 メンバーの一部は、あさま山荘事件を起こす。 1972年4月28日 大阪城公園事件 革労協 革マル派 1 衝突後のリンチ殺人 1972年11月8日 川口大三郎事件 革マル派 (中核派と誤認) 1 第三次早大闘争で革マル派糾弾、後に復権 1973年9月15日 神奈川大学内ゲバ殺人事件 革労協 革マル派 2 襲撃側の革マル派側を鉄パイプで殺害 1974年1月24日 世田谷区内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 2 引越し作業中に鉄パイプ等で殴打 横浜国大内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 経済学 部食堂内で鉄パイプ等で殴打 1974年2月6日 琉球大学内ゲバ誤認殺人事件 中核派 (革マル派と誤 認) 1 教室で授業中、革マル派は「誤爆」と批判 1974年5月13日 区役所職員内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 法政大学前で鉄パイプ等で殴打 1974年6月7日 大阪産業大生内ゲバ殺人事件 (不明) 革マル 派 1 アパート自室で就寝中に鉄パイプ等で殴打 1974年9月10日 東京郵便局員ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 アパート自室で就寝中に鉄パイプ等で殴打 1974年9月24日 大阪市立大生内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 守口市中央観光バス前で鉄パイプで殴打 1974年10月3日 東京郵便局員ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 品川公会堂付近を歩行中に鉄パイプで殴打 1974年10月15日 代々木駅内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 歩行中に鉄パイプで殴打 1974年12月1日 大阪元高校教諭殺人事件 中核派 革マル派 1 アパート自室で就寝中に鉄パイプ・ハンマー等で殴打 1975年3月6日 東京革マル派幹部殺人事件 中核派 革マル派 1 荷物発送中に鉄パイプで殴打 1975年3月14日 中核派書記長内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 革マル派が中核派最高幹部を殺害、アパート自室で就寝中に鉄パイプ・ハンマー等で殴打、中核派が「戦争」宣言 1975年3月27日 川崎市女子職員内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 川崎市役所から出たところを鉄パイプで殴打、初の女性死者 1975年4月1日 東京元革マル派全学連幹部内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 喫茶店内で電話中に鉄パイプで殴打 1975年4月26日 東京元革マル派幹部内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 2 喫茶店内で飲食中に鉄パイプで殴打 1975年5月7日 鹿児島高校教諭内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 2 アパート自室で就寝中に頭部等を殴打 1975年5月25日 岡山大生内ゲバ殺人事件 マル青同 (ノンセクト) 1 マル青同のマイクロバス突入により轢死 1975年6月4日 大阪経済大生等内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 3 大阪市立大の芝生で鉄パイプ等で殴打 1975年6月19日 東京郵便局員内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 2 路上通行中に鉄パイプで殴打 1975年6月24日 静岡別荘内ゲバ殺人事件 革マル派 革労協 1 歌手加藤登紀子の別荘で就寝中に鉄パイプで殴打 1975年7月17日 新橋駅内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 乗車した革マル派約400人が新橋駅到着時に中核派約400名に竹竿・石 等で襲撃される 1975年9月12日 埼玉国学院生内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 2 帰宅途中に鉄パイプで殴打 1975年10月8日 立正大内ゲバ殺人事件 革労協 革マル派 1 立正大構内で情宣中に鉄パイプで殴打、火炎瓶を投てき 1975年10月27日 東京大内ゲバ殺人事件 革労協 革マル派 1 東大構内で情宣中に鉄パイプ等で殴打 1975年12月14日 金沢大生内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 アパートで就寝中に鉄パイプ・バール等で殴打 1977年2月11日 革労協書記長内ゲバ殺人事件 革マル派 革労協 1 革マル派が革労協最高幹部を殺害、革労協が報復宣言 1977年4月15日 浦和車両放火内ゲバ殺人事件 革労協 革マル派 4 革労協の革マル派への報復 1978年1月27日 水戸市、勝田市内ゲバ殺人事件 革労協 革マル派 3 アジト4箇所を同時襲撃 1979年11月16日 新宿区外苑東通り路上内ゲバ殺人事件 (不明) 革マル派 2 路上で鉄パイプ・ハンマーで殴打 1980年5月5日 千葉県旅館「権兵衛」内ゲバ殺人事件 革労協 (革マル派と誤認) 1 合宿中に襲撃され助教授死亡、革労協は革マル派と主張 1980年7月20日 練馬区郵便局員内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 1 路上で鉄パイプで殴打 1980年10月30日 大田区立洗足池図書館前内ゲバ殺人事件 中核派 革マル派 5 路上で頭部を殴打、1件5名は最多 1986年1月20日 京都大学内ゲバ殺人事件 革マル派 中核派 1 構内でオルグ中に鉄パイプで殴打 1986年9月1日 国労幹部同時多発襲撃事件 中核派 真国労幹部 1 大阪・兵庫・埼玉の6箇所同時襲撃 1988年3月3日 鉄労幹部襲撃事件 中核派 鉄労幹部 1 群馬県の自宅で就寝中に襲撃 1989年6月25日 革労協元幹部内ゲバ殺人事件 革労協 (革労協元幹部) 1 革労協の内部抗争激化 1999年7月2日 明大生協理事殺人事件 革労協(赤砦社派) 革労協(現代社派) 1 6/13 赤砦社派は現代社派へ「全面戦争」「無制限・無制約の革命的テロ」を宣言 1999年7月21日 明大生協職員殺人事件 革労協(現代社派) 革労協(赤砦社派) 1 1999年11月14日 福岡県委員会議長殺人事件 革労協(赤砦社派) 革労協(現代社派) 1 2000年2月8日 真鶴駅学生活動家殺人事件 革労協(現代社派) 革労協(赤砦社派) 1 列車内で刺殺、出刃包丁の初使用 2000年2月9日 現代社派襲撃部隊殺傷事件 革労協(赤砦社派) 革労協(現代社派) 1 2000年8月30日 鶯谷駅明大生協組合幹部殺人事件 革労協(現代社派) 革労協(赤砦社派) 1 駅前で小型出刃包丁等で刺殺 2000年12月10日 革労協総務委員殺人事件 革労協(赤砦社派) 革労協(現代社派) 1 2001年5月16日 革労協総務委員殺人事件 革労協(赤砦社派) 革労協(現代社派) 1 2004年6月2日 赤砦社三ノ輪アジト襲撃事件 革労協(現代社派) 革労協(赤砦社派) 2 アジト前で出刃包丁・ハンマー等で襲撃、赤砦社派は報復せず、事実上の停戦に その他
恋人同士でありながら中核派に属した奥浩平と革マル派のシンパとなった中原素子。愛し合っていた2人だが、党派の争いが激化していく中で2人の関係も引き裂かれていく。それが理由の一つで奥は自殺する。彼の遺稿『青春の墓標』に描かれた2人の関係は「学生運動のロミオとジュリエット」と呼ばれた。
中核派最高幹部陶山健一と、革マル派幹部鈴木啓一(森茂)は血をわけた兄弟。2人そろって東大に入学し革共同に加盟するが、分裂後はそれぞれ中核派と革マル派に分かれた。平成9年1月の陶山の葬儀には鈴木の姿はなかった。
この左翼の内ゲバから転じて、政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間同士の対立、不毛な仲間割れ全般が「内ゲバ」と呼ばれるようになり、本来用いられた意味の「ゲバルト」よりも広く一般に定着した。
脚注 注釈 ^ その内情は、宮崎学『突破者』(南風社、1996年)に詳しい。 ^ これは当事者が後に有名人になったため安東仁兵衛『日本共産党私記』、高沢寅男『寅さんの生いたち』などにも書かれているが、記録に残らないリンチも多かったと推定される ^ 宮崎学『突破者』に乱闘の経過と「あかつき行動隊」創設につながっていく事情が述べられている 出典 ^ 「機動隊と乱闘することを外ゲパといった」(『全共闘グラフィティ』p118) ^ 警備警察50年 ^ 「全学連第五回大会で、旧中執二十七人を追放する、共産党中央支持派の玉井新執行部が誕生するのだが、この大会では、新執行部系所感派「人民警官隊」による国際派の反戦学同系活動家に対するリンチ事件が起こっている。これは、反戦学同が帝国主義の手先であり、CIC(アメリカ軍情報部〉のスパイだとして、十数人を密室に監禁、リンチを加えたもので、のちに、70年代に入って激化する内ゲバ事件 のはしりということができよう。」(高木正幸『全学連と全共闘』)
^ a b c d 「日本の学生運動の内ゲバは、日本共産党が1950年に所感派と国際派に分裂し、両派のテロリンチが繰り返されるというなかで最初に発生しています。52年6月に開催された全学連五回大会で、国際派の反戦学生同盟メンバーが所感派系の学生にリンチされる事件(立命館事件)がおこりました。
お前らは「帝国主義の手先、CIAのスパイだ」というレッテル貼りです。リンチを受けた一人である松本忠明は自殺している。しかしその前年、東京大学では、国際派の武井昭夫らが「スパイ容疑」で不破哲三らをリンチしていました。」(荒岱介 2008, p. 187)
^ 「36年(1961年)に始まった極左暴力集団による内ゲバの形態は、47年(1972年)ころまでは、全学連大会や学園紛争、大衆運動の中でのトラブルや主導権争いのため発生した集団遭遇戦が大半を占めていたが、48年(1973年)からは、被害者の再起不能や殺害をねらった個人「テロ」の様相を深めた。」(警察庁 1988)
^ 元々「内ゲバ」は、「党派は違えど、同じ新左翼に属する」とする立場から、「左翼の仁義」と称される一定のルール(死者は出さない、警察には介入させない等)に則って行われていた。しかし、「内ゲバ」がエスカレートし死者が続出するような段階になると、「内ゲバ」を行っている党派はお互いを「敵対集団」「反革命」と規定し、対立党派は「新左翼内部」ではないと見なすようになった。この段階に至った党派は、対立党派への暴力はもはや「内ゲバ」ではないとし、「戦争」と表現する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.08 04:11:08
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