カテゴリ:学生運動
連合赤軍内にあったという、あまりにも前時代的な価値観と泥臭い人間関係・・・何が「革命」?? それを言うのは、100年早かった?? 2024-4-16 はんぺん 謙虚さを欠いた当時の(学生運動)・・・ということで、当時を振り返ることが多くなった。56年ほど前の話だが・・・鮮明に思い出すことが、多く有る。
僕にとっては、価値観の転換を果たせることになったのが、この1970年闘争前後に関わった(学生運動)だった。僕の人生にとっては、貴重な時期だった。得たモノ、失ったモノがあった・・・と前に書いた。
しかし現実では、永遠に続くと思えたセクト間の党派闘争に嫌気して、僕も含めて多くの活動家が離脱していった。僕が、DSL(民学同)に在籍したのは、わずか、2年と数か月だった。
前に書いた山崎博昭(1967年第1次羽田闘争で死亡、中核派)の大手前高校時代の友人たちの多くが(京大・同志社大・立命大など)入学して、すぐに(学生運動の現実)に絶望して、1970年を待たずに、脱退・撤退していったように・・・・
受験勉強に明け暮れて、世間知らず、人生経験の乏しい(青2才)の(革命論議)は、当時の僕自身を思い出しても、恥ずかしい限りなのだが・・・
その中でも、過激派とオダテラレタ面々は、(若気の至り)では、済まない事件を何度も(仕出かしてしまった)。 そして、多くの市民を巻き添えにしたあげく、仲間殺しまで・・・ その後、20年近い(内ゲバ)で、100人以上の死者、5,000人以上の重軽傷者を出すに至る。
この世代・・・逃げ足の速いヤツが多かったのか? きちんと(総括)を試みたものが、(60年安保闘争時と比べて)驚くほど少ない!!!
皆さんは、どう思われるか? はんぺん ―――――――――――――――――――――― 連合赤軍「元兵士」からZ世代への告白 平行線の議論が交わった瞬間 清水大輔 2022年8月16日 朝日新聞 かつて共産主義社会の実現のため暴力による革命を志した「元学生」と、SNSを通じた社会との関わり方にたける「Z世代」と呼ばれる学生とによる異色の対談が6月半ば、都内で開かれた。
世の中を変えるためには「今も昔も武力が必要だ」と一方が言えば、もう一方は「全く想像できない」。半世紀をまたぐ新旧学生間の対談はかみ合わないまま終わるかに思えた。しかし、「元兵士」の「告白」が端緒となり議論は思わぬ方向に進んでいく。
シンポジウムは「あさま山荘から50年 多様な視点から考える連合赤軍」。1972年2月に長野県軽井沢町で起きた「あさま山荘事件」から50年となったのを機に、元メンバーなどからなる「連合赤軍事件の全体像を残す会」が主催した。
あさま山荘事件・・・・1972年2月19日、連合赤軍メンバー5人が長野県軽井沢町の保養施設「あさま山荘」に侵入し、管理人の妻(当時31)を人質に立てこもった。警察は建物を包囲したが、ライフル銃や猟銃、拳銃、手製爆弾も使って抵抗した。 これに対し、警察は28日から強行作戦を開始。激しい攻防の末、発生から219時間後、3階で人質を救出し、5人を逮捕。警視庁の警視と警部が銃弾を受け、殉職した。
連合赤軍とは71年末に結成されたグループで、共産主義社会を実現するため、武力を用いた革命を企てた。闘争のための現金を銀行などから強奪した「赤軍派」と、栃木県内の銃砲店から猟銃などを奪った「革命左派」という二つの組織から成る。
集会にはいずれも革命左派元メンバーの岩田平治さんと雪野建作さんが参加した。映画監督の森達也さん、作家の雨宮処凛さん、連合赤軍を描いた漫画家の山本直樹さんらと事件の背景について語り合った。
「元兵士」たちが学生運動にのめりこんだ理由
岩田さんと雪野さんが学生生活を送った60年代後半から70年代初めは、ベトナム反戦や安保闘争などが巻き起こった「政治の季節」だった。岩田さんが東京水産大に入った70年、学生寮は様々なセクト(党派)、ノンセクトの集まる「巣窟」で、自然と学生運動にのめり込んだ。 「口先だけの議論ではなく武力という裏付けがなければ世の中は変えられない」と思うようになった。
雪野さんは横浜国立大に入学後、革命左派に参加した。71年2月の銃砲店襲撃に加わり指名手配。連合赤軍結成前の71年8月に逮捕される。
2人の話では、連合赤軍が「あさま山荘事件」を起こすまでの経緯は次のようなものだという。
世の中を共産主義化するには話し合いによる平和的な手段ではなく、「武装闘争」によらなければいけない。それを実行するには「兵士」が必要で、兵士を育成するために山中のアジトで軍事訓練を行った。
肉体的な訓練だけでは不十分で、精神的な弱さを克服するため、各自の「弱さ」を批判し合う「総括」がなされるように。
閉鎖された空間の中で、それが暴走し、岩田さんも関わることになる暴力的な集団リンチ、果てはリンチ殺人が行われていった。組織は弱体化し、残された5人のメンバーが逃げ込んだ民間施設で起こしたのが「あさま山荘事件」だった。
頭髪指導に疑問、ドキュメンタリー映画を撮ったZ世代
こうした説明をステージの最前列で聞いた後、3人の大学生が登壇した。 明治学院大2年の中村眞大さん(19)と早稲田大1年の安達晴野さん(19)は都立北園高校の先輩後輩の関係だ。中村さんは高校時代、仲間とともに母校で行われた頭髪指導をテーマにドキュメンタリー映画「北園現代史 ~自由の裏に隠された衝撃の実態~」を制作した。
作品は自由な校風で知られた学校で行われる頭髪指導に疑問を抱き、生徒自ら教師やほかの生徒、保護者、卒業生らへ取材することで校則や学校における自由のあり方を問いかける内容だ。
作品の中で生徒会長として登場するのが安達さん。2人の携わった映画がYouTubeで公開されると、大きな反響を呼んだ。今回の集会に参加したのも、取材した中に、赤軍派に加盟し指名手配された経験を持つ卒業生がいたことが縁だった。
入管問題をSNSで意識共有
もう一人の登壇者は国際基督教大1年、宮島ヨハナさん(20)。宮島さんは入管における人権侵害に異を唱えるため、インターナショナルスクールの高等部3年だった昨春、出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案に反対する集会をSNSなどを使って呼びかけた。
宮島さんの父親は牧師で、入管の施設収容を一時停止されている「仮放免者」の保証人をしている。そのため宮島さん自身、幼い頃から仮放免者たちと交流があったという。
そうした交流のつながりから小学校高学年の頃に英語の家庭教師をしてくれた女性がいた。その女性が、仮放免後にホームレスとなり、病気が悪化して亡くなったことを知る。「もし入管で適切な医療を受けられていたら……」。宮島さんは問題意識を深め、インターナショナルスクールの卒論テーマで入管を取り上げた。集会を呼びかけたのも自分と同じ若い世代を中心に問題意識を共有したかったためだ。
武力、何のため 対話はどこまで可能か 壇上で中村さんと安達さんは「元学生」に問いかけた。 「武力が伴わないで何かを変えることはできないのですか」「武力は何のために持つのですか?」
学校という「権力」と向き合う際、2人が用いた手段はあくまで「対話」。 自分たちの考えを世の中に訴える際に利用したのはSNSだった。
問いに対し、岩田さんはウクライナ情勢を引き合いに「今の世の中も武力で動いている」と答え、話は交わらなかった。
宮島さんが入管内での人権侵害について訴える際に用いた手段は「デモ」。 気持ちは2人の学生と同じだった。
宮島さんは「職員が悪いというより、職員が(収容者を)暴行することを許す組織や制度が悪い」。閉鎖的に思える入管の体質と、閉鎖された組織内で暴走を許した連合赤軍とを比較しながら、両者の共通点を見いだそうとしているようにも見えた。
「(暴力を)阻止する方法はあるのですか?」という宮島さんの投げかけに対しても、岩田さんの答えは「なかったと思う」という容赦のないものだった。
革命より「彼女」を優先 兵士を放棄
岩田さんは殺人などの罪で服役する間、なぜ事件が起きたのかを考え続けたという。そして、その手がかりを評論家・吉本隆明の「共同幻想論」の中に見いだしたという。
壇上で岩田さんは、集団で掲げた「革命」や「革命戦士」という「共同幻想」を前に、「人権」を含めた個々人の存在や「平和」という考え方は押し殺されていった、という趣旨の説明をした。抽象度の高い話だった。両者の溝は深まるばかりに思えた。
ところが、その説明の次に岩田さんはこんな「告白」もした。「私はついて行けなかった」
山岳アジトで集団リンチ殺人が起きる初期の段階で岩田さんは連合赤軍から脱走する。それは、組織の幹部から、当時交際していた彼女を山に連れてくるように指示されたことがきっかけだった。
岩田さんが服役中にたどり着いた「総括」に従えば、自身との個人的なつながりに過ぎない「彼女」という存在は、革命という「共同幻想」を前にすれば優先すべき対象ではなかったはず。 「(当時は)革命が間違っているとは思っていなかった」にもかかわらず、岩田さんは最終的に「兵士」であることを放棄して、「彼女」を選び、「逃げた」というのだ。
すかさず雪野さんが「ついて行けなかった、というのは実は大事な視点だった」と語った。「言葉で説明することが出来なくても、納得できないことがあれば、自分の感性を信じてほしい」と学生に語りかけた。
人と違っていいんだという、それまでの「理論」とは全く異なる「素」の言葉が呼び水となって、ここから3人の学生は一気に語り出した。
宮島さんは「きれいごとに聞こえるかもしれないけれど」としつつ、こう言った。
一人ひとりの違い、尊重を
「この社会は一人ひとり違うと思う。バックグラウンドもジェンダーもどこの国から来たのかということも。違いを認め合うことが私の理想。今は理想とほど遠いけれど隣の人を尊重し、愛し合って、高め合っていくのが理想だと思う。少子化も、外国人労働力が必要ということも、入管の問題も。どんな人でも安心して暮らせる社会、生きやすい社会が理想だ」
中村さんは「ヨハナさんに共感する」と言い、「今はものごとを一側面からしか見ない人が多い」と指摘した。例として挙げたのが1月に沖縄県沖縄市内の路上で警察官と接触した男子高校生が大けがを負った問題だった。
当初「故意にけがを負わせる行為はしていない」という警察側と、「警察官がいきなり目の前に現れ、警棒で殴られた」という高校生側とで証言が食い違っていたが、その後高校生のけがは警棒によるものだと明らかになった。一方、SNS上ではこの高校生が暴走行為をしていたといった事実無根の情報も広まった。
中村さんは高校生の「暴走」を「たたく」一方的なSNS上の反応に「ショックだった」という。高校生が夜間に出歩いていたことと、警察官の行動で失明したことは「別問題」のはずなのに、けがをしても仕方ないといった論調で高校生が責め立てられたことに強烈な違和感を覚えたのだ。
そのことを踏まえ、連合赤軍についても「『テロリストだ』という部分だけを取り上げ、(事件が起きた)背景を無視してきた」と述べた。 「一つの物事に対して一つの側面だけではなく複数の視点から見る人がたくさんいることで、多様性を認める社会になる」と語った。
安達さんは今の社会について「自分と違ったものを受け入れることが自分を否定することになると勘違いしている人がいる」と発言した。同じ趣旨の言葉が「北園現代史」の中でも語られている。安達さんは学校の教師に対しこう話す。「自分には髪を染めたいという感情はないんですが、もしも髪を染めたいという人がいれば、染めてもいいと思う」
「武力(暴力)がものを言う。それは今も変わらない」と話していた岩田さんに対しては「暴力がなくても社会は変わると思っている」と反論した。その根拠として、今年度から東京都立高校を中心に「髪の一律黒染め」や「ツーブロック禁止」といった「ブラック校則」が廃止されることになったことを挙げた。「北園現代史」の反響が大きかったことや、学校での頭髪の問題に取り組む都議らと交流してきたことが「社会を動かす力の一部になった」と感じているという。
悩んだら感性に従え
集会の最後、安達さんはこう締めくくった。 「自分が声をあげることで社会が変わるんだということを実感した。ゆっくりだけど、社会はきっとよくなるし、自分がよくしていきたい」
集会後、しばらく過ぎてから安達さんと宮島さんに対談について振り返ってもらった。 安達さんは「暴力は必要」という言葉に途中まで「モヤモヤしていた」という。しかし「すごい遠くにいる」と思えた元活動家から最後になって「悩んだら感性に従え」と言われたことが大きかったという。「あの言葉に救われました」
宮島さんは大学の授業で国際法への関心を深めているという。「強制力」はなくても、問題解決のために諸外国同士で結束することができるからだ。入管法改正案が廃案になったのもSNS上で批判や反対の声が広がった末のことだった。「暴力が伴わなくても、SNSを含め民主主義的なプロセスで連帯することで社会をよくすることはできると思う」
岩田さんは「個と個の間では易しいかもしれないが、集団の中で自分の感性を伝えるのは難しい」と言った。ただ、それは自分を含め組織の暴走を止められなかった過去を開き直るものでも、学生の考えを否定するものでもない。「武力がないと権力を維持できない現実はある。しかし、若い人にはそういうところを解決していってほしい」 (清水大輔) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.21 23:47:59
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