カテゴリ:北朝鮮
「不都合な真実」に向き合わず、目をそらすリベラルたちに未来は無い。ボタンの掛け違えが、彼らの命取りに・・・ 2024-4-28 はんぺん こういうニュースを見るたびに、いつも(都合の悪い情報)に見て見ぬ振りを通してきた、リベラルたちの事を思う。彼らが、北朝鮮や中国の蛮行を声高に非難したことを聞いたことが無いから・・・
岸田自民党やバイデンのアメリカに対しては、激しく罵(ののし)る彼らだが、全体主義の中国・北朝鮮・ロシアなどの枢軸国に対しては、手のひらを返したかのごとく、非難をしない・・・この手の(2枚舌)に、いつまでも国民は、だまされ続けはしないだろう・・・
どうして新社会党や社民党、MDSやアサートのホームページには、全体主義非難が出てこないのだろう?? 僕は、いつも、不思議で仕方が無かった!
これが、彼らの言う(大義)なのだろうか? (社会主義幻想)の呪縛の解けなかった彼らの「真実」が、ここまで明らかにされてしまうと、支持者たちは、どんどん減っていくことだろう・・・
その結果だろう、新社会党やMDSのHP上の集会の写真を見れば、白髪交じりの高齢者の姿を多く目にすることができる・・・・これが、時代から見捨てられていく彼らの現実だろう。
かっての僕と共に闘った同志たちは、今、何を考えているのだろうか? あれから、50年以上が過ぎ去った今でも、当時の事が強烈に思い出されるが・・・・良い思い出が、少なかったのは、悲しい事だ。
そして反省の出来ない彼らの余生の事を考えている。 お節介だろうか? 共に集会やデモに参集し、スクラムを組んだ仲間たち・・・ (人間嫌い)の僕でも、ささやかな思いやりは、あるというモノだから・・・・
時代は、進歩しているように見えるが、他方、大量殺人兵器の開発は、止まるところを知らない・・・結果、人類は、絶滅に向かってまっしぐら・・・ 誰も、この流れを止める事は出来ない・・・悲しい現実だ。 我々の余命は、そう長くはない・・・その中で、日々を過ごしている。
皆さんは、どう思われるか? はんぺん ―――――――――――――――――― 「沢山の人が死にました」脱北者が撮影した北朝鮮内部映像 飢えて倒れる人の姿も【報道特集】 2024-4-28 TBS NEWS 北朝鮮からの脱北者の単独インタビューです。北朝鮮はコロナを理由にほぼ4年間、国を閉ざしました。この間何があったのでしょうか。この脱北者は北朝鮮内部の貴重な映像を撮影していました。
■脱北者が撮影した北朝鮮内部映像 飢える人々の姿
行き倒れだろうか。男性がひとり倒れ込んだまま動かない。
撮影した脱北者 「近くの店の主人に彼は死んでいるのかと聞いたら、前日の午後から倒れていて触ってみたけど、まだ死んでいない。飢えて倒れているようだが、まもなく死ぬだろう、と言っていた」
これは北朝鮮南部、黄海南道(ファンヘナンドウ)で、2023年4月に撮影された。
煙草をくゆらせる、物乞いに来た男性。 撮影した脱北者 「あなたの作業班でも飢えている人は、ひとりやふたりじゃないでしょう?」 物乞いの男性 「凄く沢山いる。それでも働きに出て…。やむを得ず出てゆく人も多い。死にそうだ…」
これらの映像は、韓国に脱北した男性が北朝鮮のスマートフォンで撮影したものだ。 コロナを理由に北朝鮮が国を閉ざす中、飢える住民たちをとらえた貴重な映像だ。
■「失敗したら家族全員が処刑」命懸けの脱北
2024年3月、映像を撮影した青年にソウルで会うことが出来ました。 30代前半だというキムさんです。 インタビューには、軍や警察関係者も同席しました。警護と監視のためです。
日下部正樹キャスター 「キムさんはソウルに来てどれくらいになりますか?」 脱北者 キムさん(30代) 「2023年5月7日に入国しました」
多くの脱北者が中国やロシアなど、第三国を経由するのに対して、キムさんは海を渡って韓国に入りました。
これが脱北で使った木造船です。 妊娠中の妻と母親、弟家族の総勢9人で、韓国・延坪島(ヨンピョン島)を目指しました。キムさんは、まず脱出の詳細を語り始めました。
キムさん 「ここから出ました。ここに出てきました。ここまで」 日下部キャスター 「普段は船でこのあたりの魚を取ったりしていた?」
キムさん 「そうです。船に乗って海に出るたび、延坪島が目の前に見えるたびに、自分一人でも脱北したいという気持ちに火がつきました。 でも、あとで家族離れ離れの苦しみを抱えたくなかったんです。家族全員を連れていく方法を探しました。その方法を半年間ずっと考えていました」
キムさんが脱北を目指すようになった理由。 それは個人の自由や権利が認められない社会に、絶望したからだった。
キムさん 「こちらでは全く理解できないでしょうけれど、北朝鮮では、家を一歩出たら、すべての物事を100%疑わないと生きていけません。 何も考えずに道を歩いていると、誰かが笛を吹いて、むやみに捕まえて身体検査をして、言いがかりをつけるのです。『どうしてジーンズをはいているんだ。これは朝鮮社会主義式ではない』。『なぜ労働時間に出歩いているんだ』と。なんでも犯罪にでっちあげることができるのです」
コロナ後、政府は国民の管理をさらに強化した。 食料は専売制となり、人々は足りない米などを闇取引で買い求めた。
ある日、キムさんの家に、取り締まり機関の保安員が捜査令状を持ってやってきて、蓄えていた米を運び去ろうとしたという。
キムさん 「『私たちのお金で買った食料ですから持って行かないで。私たちのものです』と主張したら、保安員に『この土地はお前のものか?お前が吸っているこの空気も全部党のものだ』と言われました。これ以上、ここに希望はない。この土地から逃げだそうと、決心しました」
何日も脱北を決行する機会をうかがった。 選んだのは波が高く、月明りがわずかにある曇りの日。台風が近づいていて、警備艇が撤収する可能性が高い。
しかし、それは賭けでもあった。 警備兵に見つかったときに備え、刃渡り50センチの刀を用意。 粉唐辛子と砂を詰めた卵をそれぞれ持って船に乗り込んだ。 万が一のときには、それを投げつけ、目くらましに使う計画だった。
キムさん 「失敗したら家族全員が処刑されるから。藁をも掴む思いでした。神様が見捨てるなら、死ぬだけだと覚悟しました」
海に出て約2時間。 キムさん 「境界線を超えたときには、ほっとしたと同時に、どっと疲れを感じました。ただ、ただ、嬉しかったです」
■食料不足深刻化で…急増する凶悪犯罪 海を挟んで北朝鮮に接する江華島(カンファ島)。 海岸線には延々と鉄条網が続きます。
日下部キャスター 「北朝鮮を一望できる展望台に来ています。対岸に広がっているのは、キムさん一家が住んでいた黄海南道です」
望遠レンズを使うと対岸の様子がうかがえます。 農作業に従事する人。自転車で移動する人。監視塔らしき建物もあります。 コロナ以降、扉を閉ざした北朝鮮内部で一体何が起きていたのでしょうか。
2020年1月以来、北朝鮮はコロナ感染対策を理由に、厳格な出入国制限を行い、人と物の行き来が止まった。 韓国に渡る脱北者の数にも明確に表れている。
韓国統一省によると、多い時には年に2000人を超えたが、この4年間で激減している。 徹底的な統制によって北朝鮮は、「苦難の行軍」と呼ばれる1990年代の大飢饉以来の食料不足に陥っていたのだ。
脱北者 キムさん(30代) 「苦難の行軍の時期より厳しかったです。その時でも、穀倉地帯の黄海南道では、飢え死にしませんでした。 しかし、コロナの間は毎日のように、町内の誰々の父親が死んだ、誰々の子供が死んだらしい。そんな話が聞かれるほど沢山の人が死にました」
食料不足が深刻化するとともに、凶悪犯罪が急増したと言う。
キムさん 「生きてゆくために凶悪犯罪が増えました。殺人や強盗が日常茶飯事でした。公開処刑も沢山ありました」
日下部キャスター 「公開処刑を見に行きましたか?」 キムさん 「見ました。2023年4月中旬ですが、大学生が中年女性を殺して、480万ウォンを盗んで逃げたんです」
日本円で8万円ほど。 エリートであるはずの大学生が金目的で犯罪を犯し、処刑された。 手錠をかけられた若者たち。
北朝鮮は、韓国文化の流入にさらに神経をとがらせている。 これは韓国のシンクタンクが入手した公開裁判の映像。
映像によると、2人の少年が韓国の映画やテレビ番組を視聴・配布したとして、懲役12年の刑が言い渡された。 傍聴席には見せしめのためか、被告と同年代とみられる若者たちが座る。 皆マスクを着けていることから、コロナ流行時の映像とみられる。
キムさん 「2022年7月26日のことです。22歳の人でしたが、韓国の音楽や映画を友人と見たとして銃殺されました。処刑を前の方で見たのではっきり記憶しています」
キムさんはそれまで淡々とインタビューに応じていました。 ところが、質問が家族におよぶと感情を露わにしました。
キムさん 「そんな話もさせるんですか。家族はインタビューに反対しているのに、私は応じているのですよ」
さらに政治の話題になると… 日下部キャスター 「コロナの金正恩政権をどう評価しますか?」
キムさん 「わかりません。政治的な発言は出来ません。悪いけど。最高指導者がすることに、ああだ、こうだ、と言えますか」
■後日、キムさんから送られてきた写真には…
2時間にわたるインタビュー中、私に対する警戒をひとときも解かなかったように思います。 キムさん 「もう終わりにしませんか?」 最後は私の目を全く見なくなりました。机の下ではスマートフォンをしきりにいじっていました。
キムさんが北朝鮮を出てまもなく1年。 家を出たら周囲を100%疑い、他人の事は絶対信じない。キムさんは、北朝鮮社会で生き抜くルールにいまだ縛られているようでした。
後日、キムさんからスタッフのもとに一枚の写真が送られてきました。 脱北後、韓国で生まれた長男です。 家族の話題を避けてきたキムさん。 何か心境の変化があったのでしょうか。
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最終更新日
2024.04.30 15:29:00
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