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2024.06.08
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カテゴリ:学生運動

(無意味な死)で、人生を棒に振った若者たち・・・いつも思う(洗脳)の恐怖  2024-6-8   はんぺん

 一本の赤い糸・・・共産主義による数々の虐殺事件、連合赤軍による山岳アジト事件や数々の(内ゲバ)、北朝鮮における密告と公開処刑、中国の情報統制、旧ソ連による粛清の数々・・・これらは、明らかに、一本の赤い糸で結びついている・・・

 

そのことが、どうしても戦後リベラルたちには、理解されないできた。思い込み・・・洗脳の苦い歴史だ。

 

なぜ?こんな単純な事実に、真摯に向き合えないのだろうか?

僕は、不思議で仕方がない・・・と言ってきた。

(洗脳)とは、そういうものだ・・・

 

他人に害を及ぼさない限り、僕たちは、目をつぶっていられる。しかし、その宣伝・扇動により、多くの不幸な若者たちの人生の可能性を摘み取るとなれば・・・これは、許せない・・・(犯罪)だ・・・

 

重信房子(日本赤軍)、森恒夫・永田洋子(連合赤軍)たちは、その典型だったが、川口大二郎や、海老原俊夫の虐殺に加担した暴力学生も、同罪だ。

 

(内ゲバ)で、殺された100余人、重軽傷者が数千名・・・障害などで、人生を棒に振った多くの学生たち・・・いつも、その罪の大きさに、震えあがる。

 

いつも思う・・・(洗脳)の恐ろしさは、人間を狂気に駆り立てる事を!

 

皆さんは、どう思われるか?   はんぺん

―――――――――――――――――――

内ゲバが招いた自滅。 元職業革命家・大藪龍介さん ワタシペディア「私」辞典~全共闘ダイアリー (3

     2019-6-10   西日本新聞

あのとき襲撃されていたら、今の自分は存在していなかったかもしれない。

 

 かつて革マル派の活動家だった大藪龍介さん(80)は50年近く前、内ゲバの標的になった。「しばらくどこかに身を隠した方がいい」。仲間に忠告され、自宅に帰らずホテルを転々とした

 

当時、大藪さんは既に所属するセクト(党派)を離れ、「革命」を目指す実践運動からも遠ざかっていたが、対立セクトにその現状は伝わっていない。結局、対立セクトのメンバーを知る先輩が間に入り説得した、という話もあった。大藪さんは襲撃を免れた。

 

 だが、免れられなかった仲間もいた。早朝にマスク姿の男にアパートへ踏み込まれ、鉄パイプで頭を殴られ重傷を負った者、通勤中にバス停で襲われ命を落とした者もいた。

 

   ■   ■

 

 九州大の学生自治会で日米安保闘争に加わり、社会運動に目覚めた大藪さん。卒業後は就職せず、既存政党と一線を画す革命政党をつくろうと夢見た。「職業革命家」を名乗り、企業へのオルグやビラ配りで仲間の勧誘を続けた。活動は交通費も手当ても出ず、収入はゼロ。生活は県庁職員となった妻が支えた。

 

 「新しい社会をつくるんだと、闘志があって燃えていた。暮らしに余裕がなくても苦しくなかった」

 

 30代になるころ、セクト間の内ゲバが頻発した。思想の違いや主導権争いを理由に、過激な暴力を正当化し、繰り返されるテロやリンチ。

自らが追い求める革命像と懸け離れ、セクトを辞めるきっかけとなった。

 

 その後、理論研究による「革命」を目指そうと思い直した。大学院生を経て、45歳で富山大助教授に。17年前に引退し、現在は福岡市の自宅で論文執筆を続ける。マルクス主義を題材にこれまで計15冊を著した。

 

   ■   ■

 

 振り返れば、1960年代後半の大学紛争などで社会に根付きかけた新左翼運動は、内ゲバが過激化していった結果、世間に見放されたと、大藪さんは思う。

 

 《相手を反革命と断罪することで、罪悪感や思い悩みに妨げられず、相手党派のメンバーの破滅が革命につながると倒錯する》

 

 「内ゲバ殺人の狂態をめぐって」と題した論文で、こう考察した。

 

 今、世にまん延する排外主義。「ネトウヨ」(ネット右翼)と呼ばれる人々は、思想や歴史観の異なる相手にヘイトスピーチ(憎悪表現)を浴びせる。軽々しく他国への「戦争」を口にする国会議員まで現れた。

 

 「あれが行動に出ると怖い。自分たちの考えを絶対的に正しいと信じ、批判を排除する。その姿勢が内ゲバのような不毛な争いにつながっていく」

 

 福岡タワーや博多湾を見渡せるタワーマンションの1室。大藪さんの書斎の壁を、1000冊を超える専門書が埋め尽くす。

 

 「今は資本主義社会は安定しており、現実的には革命は起きない」と理解しながらも、先の世代に向けて研究を続けている。

 

▽暴力連鎖 死者100人超

 

 学生運動では、闘争路線を過激化させた党派組織の学生が警察権力に対抗するため、角材を武器として使うなどの暴力的手段を行使した。

 

1970年ごろから党派内部の闘争や分裂が活発になり、同一党派の争いでも暴力を用いる「内部ゲバルト」(内ゲバ)が頻発した。ドイツ語で暴力を意味する「ゲバルト」に由来する。

 

棒状の武器は「ゲバ棒」、ビラや立て看板に使われた独特の文字は「ゲバ字」と呼ばれた。内ゲバはエスカレートし、組織ぐるみの殺し合いに発展。死者数は計100人を超えるとされる。

――――――――――――――――――――


内ゲバで血塗られた党史(警視庁ホームページ)

 革命勢力各派には、共通して、自派の革命理論、戦術方針こそが唯一正しく(革命唯一党)、他派は革命を妨げ、混乱させる有害な勢力(反革命勢力)であるとする考えがあります。内ゲバは、このような考えに根ざす党派闘争が暴力抗争の形態をとったものと言えます。

 

 革マル派においても、昭和30年代後半から他党派との間で内ゲバを繰り広げ、多数の死傷者を出しています。内ゲバ等を行うための非公然部門が組織されており、これまでにも、「特別行動隊(特行)」という名称が使用された経緯があります。

 

同派による特異な内ゲバ事件として、中核派書記長・本多延嘉殺人事件(50年3月14日発生)、革労協書記長・笠原正義殺人事件(52年2月11日発生)が挙げられます。

 

 両事件は、ともに対立する中核派及び革労協の最高幹部をねらったものであり、両派に致命的な打撃を与えています。しかも、その犯行手口は、複数の者で襲撃し、相手の頭を斧や鉄パイプ等でめった打ちして確実に命をねらうという残忍極まりないものでした。

 

 革命勢力各派では、外でこうした残忍な内ゲバ事件やゲリラ事件を引き起こす一方、内では鉄の規律と言われる程厳しい統制が行われています。 革マル派においても、中央方針(黒田方針)に反発したり、批判的な言動を行う活動家に対して、厳しい粛清が行われるという事件も発生しています。​​​​​​​​​​






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最終更新日  2024.06.10 08:31:58
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