カテゴリ:社会主義
全体主義による(地球制覇)を許すな! リベラルたちへ、目を開け! 洗脳から目覚めよ!! 2024-6-13 はんぺん 以前から、全体主義による、浸透工作について、何度も警告してきた。 (参考) 静かなる侵略(サイレント・インベージョン)は、今そこにある危機 (はんぺん) https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/202109150000/
70年の安保闘争前後が、僕にとっての(変革)の序章だったが、その前後に起きた、様々な諸事件を前にしても、(社会主義擁護)で、言い逃れをしてきた左翼リベラルたち・・・
文革の破産(1966年)、ワルシャワ条約機構軍によるチェコ軍事介入(1968年)、チェルノブイリ核事故(1986年)、天安門事件(1989年)、ソ連崩壊(1991年)・・・
我々は・・・・彼らは、歴史から、何を学んできたのだろうか?? どこに行きつこうとしているのか? いつまで、洗脳キャンペーンを続けるつもりなのだろか?
彼らの目指す(社会主義)なるものは、空中楼閣だったという事だ。 無残な結末を迎えた(総括)もできずに、いまだに(妄想)を振りまいて、宣伝・扇動をくる返し続けている様は・・・(悲劇)としか、言いようがない。
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
――――――――――――――――――――――――――― 「私は北朝鮮の政治工作員です」「本当のことをお話しします」逮捕された幹部工作員が心を開くまで ある取調官の機転(2003年12月15日放送「きょうの出来事」リメイク) 日本テレビ(動画) https://www.youtube.com/watch?v=hJrjO5EwOiQ&t=0s
※2003年の放送を、再編集して公開しています
北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国してから10月15日で20年になる。しかし、まだ帰国を果たせていない拉致被害者は政府認定だけでも12人。この20年間で拉致問題の解決に向けた大きな進展はないというのが実情だ。
また、戦後、北朝鮮の工作員が頻繁に日本に出入国を繰り返していたことが分かっているが、その多くは実態が解明できていない。北朝鮮の工作員は当時、日本でいったい何をしていたのか。
日本テレビが独自入手した500ページを超える極秘捜査資料には、日本に潜入し41年前に逮捕された北朝鮮工作員の活動の実態が、供述とともに事細かに記されていた。逮捕された幹部工作員は、どのようにして“完落ち”したのか。幹部工作員と正面から向き合ったある取調官の半年に及ぶ取り調べの全容に迫る。(2003年12月15日放送「きょうの出来事」リメイク)
―――――――――――――――――――― 【極秘資料】当時、日本は知っていた――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員が語ったスパイ活動の実態(2003年12月15日放送) 日本テレビ(動画) https://www.youtube.com/watch?v=f7uM_lBh1HQ&t=0s
※2003年の放送を、再編集して公開しています 0:00 日本テレビが入手した「極秘捜査資料」 0:34 北朝鮮の幹部工作員が逮捕されるまで 2:32 明らかになった事実①:“追いつけない”工作船 4:16 明らかになった事実②:拉致される場所の共通点 6:28 明らかになった事実③:日本での工作活動の実態
北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国してから10月15日で20年になる。しかし、まだ帰国を果たせていない拉致被害者は政府認定だけでも12人。この20年間で拉致問題の解決に向けた大きな進展はないというのが実情だ。また、戦後、北朝鮮の工作員が頻繁に日本に出入国を繰り返していたことが分かっているが、その多くは実態が解明できていない。北朝鮮の工作員は当時、日本でいったい何をしていたのか。
日本テレビが独自入手した500ページを超える極秘捜査資料には、日本に潜入し41年前に逮捕された北朝鮮工作員の活動の実態が、供述とともに事細かに記されていた。捜査資料からわかった当時の工作活動の実態とは?(2003年12月15日放送「きょうの出来事」リメイク)"
―――――――――――――――――――――― 歴史上最も有名な悪役は誰ですか? (QUORAから) (回答者) Kenji Kawai ソ連の指導者スターリン以上に邪悪な人物を私は見つけたことがありません。
勝利者は常に歴史を書きます。私は、彼が数百万人をシベリアの絶滅収容所に移送したことや、数万人の国民を処刑したこと、赤軍の最高の将軍や士官を処刑した大粛清については話しません。
私のテーマは彼が介入し、何百万もの兵士と民間人の死を引き起こした失敗した戦争戦術についてです。
(戦後、傷痍軍人や手足を失った人たちはどうなったのか)
1941年から1945年にかけての大祖国戦争(第二次世界大戦)の戦場で、50万人近いソ連の兵士と将校が手足を失った。彼らは民間生活に戻り、そこで自分たちは誰の役にも立たず、仕事にも就けないことに気づきました。彼らは生活をやりくりするために、通り、劇場、市場をさまよい、物乞いをしました。
ヨシフ・スターリンは、ソ連の都市景観を台無しにするのを止めるために、この恥ずべき大衆を公の場から排除するよう命じた。
レニングラードや他の主要都市から、障害のある退役軍人が誘拐され、トラックに放り込まれ、フィンランド国境近くのラドガ湖畔まで連行され、そこからボートでヴァラーム島まで連れて行かれた。
戦争と労働の障害者ホームは、1948 年に旧修道院の建物内に設立されました。リムレスの退役軍人は、身体が不自由でありながら敵との戦闘で命を落とさなかったため、最悪の犯罪者と同じように過酷な孤立環境で暮らしていました。
手足をすべて失った人々は、からかうように「サモワール」と呼ばれました(足と腕がなければ、人はロシアのサモワールのように見えるため)。特にサモワールは苦戦した。彼らは常に子供のように縛られていました(下の写真を参照)
夏には屋外に連れ出されて川や湖の横の芝生の上に置かれるため、尿や糞が水路に垂れ落ちます。寝返りを打って入水自殺を図る人もいた。看護師たちは彼らを憐れみ、彼らに人生の意味を与えるためにサモワール合唱団を結成させた。
最初の数年間、建物には電気も暖房もなく、診療所もなかったので、何千人もの人が風邪や治療を受けられなかった病気で亡くなりました。
この期間中、キリロ=ベロゼルスキー、アレクサンダー・スヴィルスキー、ゴリツキーなど、同様の施設がソ連全土に出現したが、いずれも人里離れた寒冷な場所にあり、人間の生活から隠され、放棄された修道院にあることが多かった。そこには10万人から20万人の障害のある退役軍人が収容されていた。
母親、妻、姉妹たちは、国家によって誘拐された障害のある親族を捜索した。戦後、多くの女性が障害者施設に問い合わせの手紙を書いたり、訪問したりしたこともありましたが、これほど幸運なことはめったにありませんでした。
障害者の中には、愛する人たちに自分の醜さや無力さを見せたくなかったために、故意に親族の前に姿を現すことを拒否し、本名さえ隠した人もおり、その結果、これらの人々は集団的な歴史的記憶から自分たちが消去されていることに気づきました。
国の支援を受けていない少数の個人愛好家が、退役軍人専用の寄宿学校に遺骨を隠した人々の真実を探ろうとしている。そのうちの1人はモスクワの系図学者ヴィタリー・セミョーノフである。
定期的にヴァラーム島に祈りに来るウラジミール・プーチン大統領は、この列島で非人道的な環境で生死を強いられた障害のある退役軍人のことには一度も言及しなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.16 13:40:43
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