カテゴリ:学生運動
(革命ごっこ)の末路・・・「内ゲバによる無意味な死」 あなたは、何を思うか・・・「大義」に弱い人間の(もろさ) 2024-7-4 怒るはんぺん 今、「何と言う『無意味な死』」(勁草書房 1975年刊))を読んでいるが、 著者は、一応、元:東大生:四宮俊治。これは、(四宮俊治の遺された3冊の手記)ということなので。
四宮俊治は、内ゲバでの(殺し合い)が続く中、S49/1/24 友人(活動家)の引越しの手伝いをしていて、中核派の集団に襲われ、頭を鉄パイプでメッタ打ちにされ、殺された。(革マル派と誤認されたが、彼はノンセクトだったらしい)
S49年といえば、西暦で、1974年だ。1971年から1972年にかけて連合赤軍による山岳ベース事件が起きている。同志に対する大量リンチ殺害事件で、仲間12名が、リンチにより殺された。 これは、同じセクト(組織)内で、起きた殺人だった。
一方、「内ゲバ殺人」は、異なるセクト間に起きた(殺し合い)だった。 結局、1960年代公判から、1980年代にかけて、彼ら極左集団の間での(内ゲバ=「無意味な殺し合い」)で、100人以上の(活動家?)が、殺されているほか、4桁に上る学生や労働者が、重軽傷のため、後戻りのできない人生を余儀なくされてしまった・・・・
こんな(無意味な死)を どうして防げなかったのだろうか? いつも、このような記録を読んでいて、思うのだが・・・
さらに怒りがこみ上げるのだが、その(社会主義洗脳)の総括も無い(懲りない面々)が、またまた全体主義に寄り添って、蠢(うごめ)いている現状には、絶望しか無い・・・と、思う。
別の所で、雨宮処凛(あまみや かりん、作家)が、「私はこの事件を思い出すたびに、「正義」という言葉の持つ危険性に身震いする。それが暴走した時、人はなんでもできてしまうからだ。 ・・・自分は命を懸けて「革命」をしているのだから、「正しいこと」をしているのだから、「正しくない」相手を殺すことさえ正当化されていくという転倒。この事件は、誰もがハマる可能性がある「正義の罠」の危険性に今も警鐘を鳴らしている。 ・・・そんな連合赤軍事件の少し後、内ゲバで多くの若者が殺されたことをどれほどの人が知っているだろう?
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最終更新日
2024.07.10 12:02:25
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