カテゴリ:社会主義
リベラルよ・・・全体主義の脅威を見くびるな! 人類に最大の不幸をもたらす全体主義の侵略に備える事が、急務だ!! 2024-7-6 はんぺん 全体主義の蛮行が、続いている。ウクライナでも、ミャンマーでも、南シナ海でも、朝鮮半島でも・・・それに、見て見ぬ振りをしてきたのが、民主主義を声高に叫んできたリベラルたちだ。
こういう記事も、(不都合な真実)なので、リベラルたちが自分たちの機関紙で紹介して、非難・糾弾することは無い・・・のは、間違いない。 2枚舌の彼らが、国民から見放され続けてきたことへの(反省)は、一切無い。
同じ偏見を持った者同士、批判されることのない身内同士で、のんびり群れているほうが、楽ちんで、居心地は良い・・・かくて、反省無き(無意味な人生)が、永遠に続く・・・???
下記の記事・・・ロシア全体主義の脅威は「今、そこにある危機」だという事が、切実として伝わってくる。 能天気な日本のリベラルたちには、おそらくピンとこないだろうが、何度も侵略を受け続けてきたフィンランドにとっては、他人事では済まされない重大事だ・・・
「フィンランドはロシアと隣り合い、1939年から44年にかけて旧ソ連と戦った。国境沿いのラッペーンランタには、祖父母や父母がロシアの侵略に抵抗した過去を持つ人も多い。徴兵制があり、ロシアを警戒して常に戦争への備えを怠らなかったこの国にとって、社会の緊張は大きい。」(本文)
(護憲幻想)に洗脳された新社会・社民党・MDS・アサート等のホームページでは、間違いなくスルーされる(不都合な真実)だ!! (MDSとは、民主主義的社会主義運動という、泡沫的社会主義政党の事だ)
皆さんは、どう思われるか? はんぺん ―――――――――――――――――――― フィンランドはなぜ国境を閉じたのか ロシアの影と欧州で高まる緊張 2024-7- 森岡みづほ 朝日新聞 「フィンランドがロシアと接する1340キロの東部国境を閉鎖する」。昨年11月、こんなニュースに驚いた。 昨秋以降、隣国ロシアからフィンランドに入国しようとする移民が急増したことが理由だという。ロシア国民ではなく、ほとんどが中東やアフリカなど第三国から来た人だ。
「国境や社会を不安定にするため、ロシアが移民を『手段』として送り込んでいる」。フィンランド政府はそう認定し、11月末までにロシアと接する8カ所の国境検問所をすべて閉鎖。ほぼ再開することなく、今年4月上旬に閉鎖の無期限延長を発表した。5月には「手段化された移民」を国外退去させる法案を議会に提出した。
「世界一幸福な国」といわれ、穏やかで平和なイメージがあるフィンランドで何が起きているのか。現地へ飛んだ。
移民の姿が見えない町・・・・ フィンランド南東部ラッペーンランタ。ロシア国境から30キロほどしか離れていない、人口約7万人の小さな町の検問所にも昨秋、ロシアから移民が押し寄せた。
雪のちらつく4月下旬に訪れると、町は拍子抜けするほど平和そうに見えた。移民とみられる人の姿もない。 それもそのはず、入国した移民は、町はずれにある国営の移民・難民の施設に収容されていた。今も100人以上が難民申請の審査が終わるのを待っているという。
そのうちの1人に話を聞くことができた。 「政治のことはわからない。ロシアに利用されたかもわからない。でも僕はいつこの施設を出られるのか。新しい生活を始めたいだけなのに」 せきをきったように話し始めた男性は、29歳のオマーンさん。中東・シリアから欧州連合(EU)圏内を目指し、ロシア経由でフィンランドにやって来た。
故郷のシリアは政情不安定で、周辺地域の紛争にも人員を派遣している。ひとたび徴兵されればモノのように扱われると聞いていた。多くの男性が兵役逃れのため出国、2人の兄もオランダに逃れていた。
フィンランド行きを決断させた「動画」・・・・ 学生ビザが取りやすいロシアからEU圏に近づこうと考え、オマーンさんは2022年12月、サンクトペテルブルクの学校に入学した。 ロシアに着いても、いつシリアに強制送還されるかおびえていた。
スマホで、ロシアからフィンランドを入り口にEU圏に入る方法をアラビア語で伝える動画を見つけたのは昨年の秋のことだ。食い入るように動画を見て、決めた。「フィンランドに向かおう」
昨年12月中旬、タクシーに2時間乗り、ロシアのフィンランド国境近くに向かった。動画の指示どおり自転車を買ってタクシーに載せ、車道が無くなると雪の中を2時間こぎ、フィンランドの検問所にたどり着いた。
国境で難民申請の審査のためパスポートを預けた。念願のフィンランドだった。 だが、それから数カ月たっても入国許可のめどすらみえず、施設に隔離されたままだ。「不安で気が狂いそうになる」と、オマーンさんは声をつまらせた。
施設の関係者や他の収容者にも話を聞いた。現在施設にいるほとんどが、シリアやイラン、ソマリアなど政情が不安定な母国からロシアを経由し、昨秋以降にフィンランドに入国した人たちだという。
移民を手助けする「ガイド」を雇い、森を歩いて入国した人もいるが、多くはSNSで拡散された動画で「フィンランドからEU圏への入り方」を学び、ここにたどり着いていた。紛争が続く自国から逃れるためで、ロシアのウクライナ侵攻とは無関係のようだった。
移民流入とロシアの影・・・・ 昨年8月以降、ラッペーンランタの検問所を含め、ロシア国境からフィンランドで難民申請をした人は1300人以上に上る。フィンランド国境警備隊によると、それまでロシア国境から入ってくる移民はほとんどおらず、降ってわいたような突然の現象だった。
昨年11月下旬時点で、ロシアからさらに数千人が押し寄せているという情報があった。フィンランド政府が国境を閉鎖し、移民の国外退去まで検討しているのはこのためだ。
今のところ、移民によって地域社会が混乱するといった影響は出ていないが、公共放送YLEによると、国民の約7割が国境完全閉鎖を支持している。
国境警備を監督するマリ・ランタネン内務相は朝日新聞の取材に、「問題は移民の数でなく、その背後にあるものだ」と話す。
22年に始まったロシアによるウクライナ侵攻を経て、フィンランドは長年の中立を翻し、ロシアが敵対視する北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。難民が急増したのはその約半年後だ。
ランタネン氏によると、移民がロシア政府に気づかれずに国境を越えることは不可能だ。つまり、ロシア当局が少なくとも「フィンランドに向かう移民を、以前のようには止めなくなった」ことは確かだという。
実際、フィンランドの国境警備隊や諜報(ちょうほう)機関の分析で、ロシア当局が移民に自転車を支給するなど、積極的に関与していることが明らかになった。
ロシアの同盟国ベラルーシとポーランドの国境では数年前から、EU圏への越境を試みる移民がたびたび押し寄せ、混乱が起きた。欧米メディアは「ベラルーシ政府が意図的に移民を送り込んでいる」と批判した。
同じことがフィンランドでも起きたのだと、ランタネン氏は言う。 「我々は隣国を侵略するような国と国境を接している。フィンランド国境はEUとNATOの対外国境でもある。外部の圧力を感じたら強く対抗しなければいけない」
「ロシアの手段」とされた人びとの実像は ロシアに対する警戒感は欧州全体で高まっている。ロシアが関与した可能性のある事件が多数報告されているからだ。
英BBCによると英国当局は4月、ロシアの民間軍事会社ワグネルに協力してロンドン東部のウクライナ関連企業に放火したとして、男2人を起訴した。ポーランドの大型ショッピングセンターやリトアニアの家具大手IKEAでは5月、原因不明の火災が起きた。
五輪を控えるフランス・パリでは6月、エッフェル塔の近くに、「ウクライナのフランス兵」と書かれたひつぎが置かれ、仏当局は男3人を拘束した。
国連機関の国際電気通信連合(ITU)は7月、ロシアがウクライナやフランス、スウェーデンなどの衛星システムを妨害したと報告。航空管制に影響が出たほか、テレビの子ども番組が突然、ウクライナ侵攻の暴力的な映像に切り替わったという。
メディアやNATO、欧州諸国の当局はこれらがロシアの「破壊工作」に当たると指摘する。
フィンランドはロシアと隣り合い、1939年から44年にかけて旧ソ連と戦った。国境沿いのラッペーンランタには、祖父母や父母がロシアの侵略に抵抗した過去を持つ人も多い。徴兵制があり、ロシアを警戒して常に戦争への備えを怠らなかったこの国にとって、社会の緊張は大きい。
だが「ロシアの手段」とされる移民たちに実際に会ってみると、彼らはロシアもウクライナも関係なく、母国を追われ、必死に新しい居場所を探している人たちだった。 安心して暮らせる場所がない。それはどんな心持ちだろうか。ロシアを警戒し防衛を強化する欧州と、居場所のない人びとの人生に言葉がなかった。 ◇ もりおか・みづほ 1991年生まれ。大阪社会部や国際報道部を経て、2024年2月にブリュッセルのヨーロッパ総局に着任。NATOや国際刑事裁判所、国際司法裁判所などを担当しています。
―――――――――――――――――――― 好きな国「変わってしまった」 国境閉鎖、変化に戸惑うロシア系住民 ラッペーンランタ=森岡みづほ 2024年6月25日 朝日新聞 バスを20台は止められそうな大型スーパーの駐車場には、一台の車も、人影もなかった。店先には「休業」の文字。この数カ月、ずっとこの状態だという。
ロシアとの国境に位置する、フィンランド南東部のラッペーンランタ。人口7万人ほどの小さな街に押し寄せていた、ロシアからの買い物客や観光客の姿は、いまはない。
昨年11月、このスーパーから数百メートルの場所にある国境検問所が突如、閉鎖された。以来、行き来は途絶えた。
ウクライナ侵攻を機に、国境を接するロシアへの警戒感を強める北欧フィンランド。4月にはロシアと接する東側の国境の無期限閉鎖を発表しました。ただ、そこには戸惑う住民もいます。その理由とは。
原因は、移民の存在だった。昨秋以降、ロシアからフィンランドに入国しようとする移民が急増。多くが中東やアフリカの人たちだった。
「ロシアが欧州に揺さぶりをかけるため、意図的に移民を送りこんでいる」 フィンランド政府はそう主張し、ロシアを非難した。
昨年11月にすべての国境検問所を閉鎖。4月にはその無期限延長を発表した。 「私の好きなフィンランドは、変わってしまった」 住民のカーチャ・マロワさん(40)は言った。
この街から200キロしか離れていない、ロシア・サンクトペテルブルクの出身。大学時代に交換留学で1学期だけフィンランドに暮らし、大好きになった。外国人の自分にも優しい人たち、法と人権を重んじる社会。そんな国が、新鮮だった。
6年後、ラッペーンランタの大学院に進学。結婚し、この国で暮らすと決め、フィンランドの市民権も取得した。 地元メディアによると、ラッペーンランタには、マロワさんのようなロシア系の住民が数千人暮らす。
車に乗って気軽に母国に行き、親類に会う。親しい人が亡くなれば、葬儀に出向く。毎月、年老いた両親の介護のためにサンクトペテルブルクに通う人もいた。逆に、多くのロシア人観光客が週末にこの街にやって来た。
それが突然、国境封鎖で閉ざされた。 さらに、ウクライナ侵攻後はロシア系住民に対する視線も厳しくなったと、マロワさんは感じている。
「ここで14年暮らし、私にとっては故郷だと思っていた。今では別の国に暮らすことも考えている」 もちろん侵攻は間違っている、と思う。ただ、「『普通の人』に何ができるのか」との気持ちがある。
「ナワリヌイ(ロシアの反政権派指導者で収監中に死亡)を見てください。プーチン政権に抗議した人たちはみんな投獄されている」
フィンランドとロシアの関係は、時代によって変化してきた。
フィンランドは1917年にロシアから独立。1939年から44年にかけての旧ソ連との戦争に敗れ、領土の一部を奪われた。戦後、ソ連と「友好協力相互援助条約」を締結。ソ連や東欧向けの工業製品の輸出で発展したが、一方で、戦争への備えは怠らなかった。
男性には徴兵制があり、一定規模の建物にはシェルター設置も義務づけられている。「対話」と「防衛・抑止」の両輪で、微妙なバランスを保ってきた。
それが、ロシアによるウクライナへの全面侵攻で一変した。 1300キロ超にわたりロシアと国境を接するフィンランドは長年の中立政策を転換し、ロシアが敵視する北大西洋条約機構(NATO)加盟を決断した。
フィンランドのシンクタンク「EVA」によると、2005年にロシアを「主な軍事的脅威」と回答した人は31%だったが、クリミア併合後の15年には50%に。ウクライナ侵攻直後の22年3月に行った調査では、それが84%にのぼった。
今回の国境閉鎖も、世論調査では7割のフィンランド国民が支持している。
一方で、EVAの調査では、別の側面も浮かび上がる。侵攻直後でも、73%の人が「ロシアには豊かな文化がある」と答えた。「ロシア市民はいい人だ」とする人は58%で、05年の48%より増加していた。
ラッペーンランタ市議会のユーリ・ハンニネン副議長(53)は、街を訪れるロシアの人たちは穏やかで、礼儀正しかったと振り返る。
ハンニネンさんの父は幼い頃、両親とともに現在のロシア領から移り住んできた。ラッペーンランタではロシアと何か縁があるのが普通で、決して、ロシアの人たちが悪者だとは思っていない。行き来を断たれたロシア系の人たちの苦しみも理解しているつもりだ。
それでも、22年2月、ロシアがウクライナに侵攻した時はすべてが予測不能になった。次は何が起こるのかと、市議会で何度も話し合い、考えられるすべてのことに備えるとの結論に達した。
NATO加盟も国境閉鎖も、「あらゆる事態に対応するための、国家レベルでの備え」だと支持している。 それはすべて、「平和のため」。ハンニネンさんはそう言った。 (ラッペーンランタ=森岡みづほ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.07.07 00:47:34
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