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戦争遺骨の回収は必要か? 自分は、あと何年、生きるんだろうか? 2024-9-17 はんぺん 昔は、こう考えていた・・・(戦争を始めた日本政府の責任の下、見つからない戦死者の遺骨を 政府の責任で回収するべきだ・・・)と。 日本人の死生観やしきたりなどもあって、いろいろな考えがあるが、僕は、最近は、戦争死亡も含めて、そもそも(墓)が、必要なのか? と、今は考えるようになっている・・・
昨年、オフクロが、100歳で亡くなったが、生前からオフクロに、死没後の墓地・仏壇・親戚づきあいの3点について、強く、頼まれていた。その後も(はんぺん家の墓)の墓参も続けているが、世間の様相は、相当変化している・・・ (墓じまい)(樹木葬)(海洋散骨)など、今では、埋葬方法も含めて、遺族の対応も多様化している。田舎に残してきた墓地の管理者が不在で、荒れ放題の墓も、急速に増えているという。 そもそも、(墓)という発想は、宗教起源ではないか? 仏教・キリスト教・イスラム教など宗教界では、魂の存在などが取りざたされ、供養のため?に、弔いなどの宗教行事が慣習化してきた。 もちろん縄文・弥生の原始時代では、異なった弔いがあったらしいし、時代が変われば、葬祭方法も、コロコロ変化していった。いい加減なものだ! この宗教という(非科学的)存在は、この文明・科学が発展していく未来においては、遺物と化していくと、僕は思っているが・・・弱点多き、強くない人間は、それでも(宗教)あるいは(宗教もどき)を必要とするのだろうか?
前から気になっていたことだが・・・戦争遺骨のことだ。 というわけで、多くの戦死者の遺骨は、見つからず、白木の箱に石ころ一個で、遺族の下に戻されたという・・・ 死者の遺骨を墓に収めたいという遺族の気持ちは、分からないでもないが、戦死・餓死兵士、空襲被災者たちや、ジャングルの奥深くにあると思われる遺骨の回収は、ゼロに近い・・・と考えるのが普通だ。 戦争を始めた日本政府の責任は、重大であり、ヒロヒト(裕仁)も含めて、戦争指導者の戦争犯罪は、追及され続けなければならないが、後世の負担に依存するばかりの戦争遺骨の回収などよりも、その後、生き延びることができた空襲被害者たち、戦争被害者たちの戦後補償などに注力するのが合理的ではないか? と、最近は考えている。
死生観(価値観)は、時代とともに、どんどん変化する。多くの友人、知人が鬼籍に入った。遺された我々が、そのことを、どう認識するか? という事だろう。 亡くなった人間にとっては、後の時代の事は(どうでも良い)事だ。それでも亡くなった人間と(関り)を持とうとするのは、遺された後の時代の人間だけ!
前に、ブログでも書いたが、世界には、個人の業績を讃えて、その名を冠した事物が、ヤマのようにある・・・(レーニン通り)(スターリングラード)(ケネディ国際空港)(ドナルド・レーガン)・・・ しかし、死没した彼らにとっては(どうでもよいこと)なのだ・・・ 僕は、墓も仏壇も興味はない。自分は、葬儀無しの(直葬)を予定しているし、墓地には入らず散骨を予定している。少ない資産を、そんなところに使う愚は避けて、遺された者たちの生活の安定に寄与したいと思う。 (参考) 僕の店じまい 2015-10-12 (はんぺん) https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201510130004/ はんぺんの リビングウィル 2015-6-15記録 https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201510270005/
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最終更新日
2024.09.22 20:56:55
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