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2024.11.06
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カテゴリ:北朝鮮
蠢(うごめ)く 中国・北朝鮮の全体主義・・・まったくの能天気なリベラルの面々 ​​ 2024-11-6  はんぺん​​​​
最近の新聞記事から・・・・・
「最大級の海警船 尖閣周回」(読売11/3) 
「北朝鮮、南北結ぶ道路爆破」(朝日10/16)
「中国軍、台湾包囲し演習」(朝日 10/16)
「北朝鮮兵3000人、ロシア軍に所属か」(朝日 10/16)
「『韓国は敵』と改憲か」(朝日10/18)
「北朝鮮がロシアへ 1万人規模派兵か」(朝日 10/20)

日本を取り巻く、キナ臭い事件が、毎日の新聞を賑わせているが、日本のリベラルたちは、この記事を どのように見ているのだろうか??
​​そう、社民党・新社会党・MDS・アサートなどの論客の皆さんたちの事だが・・・・またまた、見て見ぬ振りで、やり過ごそうというのだろうか?? ​(MDSとは、民主主義的社会主義運動という、泡沫的社会主義政党の事)​​​
そして、またまた、周辺の独裁国家(中国・北朝鮮・ロシア)のトップ(習近平・金正恩・プーチン)を狂喜させ続けるのだろうか???

日本では、第50回総選挙が、10/15に公示され、選挙戦は、10/27投開票で、終了した・・・・その最中に、日本周辺では、上のような事件が、頻発した。
そう、能天気に選挙をやっている最中にも、周辺海域では、キナ臭い事態が、どんどん進展していったのだが・・・・

注目したいのは、日本の尻に火が付きかけているのに・・・
「がんこに平和」(社民党) 
「緊急事態条項などの憲法改正に反対」(れいわ新選組)
「憲法9条をいかした平和外交」(日本共産党)
・・・・いずれも、今回の総選挙(10/27執行)でのリベラルたちの選挙公報である。

何という事だろう・・・ ​全体主義、軍国主義に囲まれた日本の平和を求めるハズのリベラル政党のスローガンだとは、思えない能天気さだ!!!​
​彼らには、(情報を無視する権利!)がある。(見て見ぬ振りをする権利)がある。しかし、それでは、天下国家を論じ、国民の命と暮らしを守るべき政党、政治家としては、失格でないか!と、僕は、思っている。​

​そもそも「がんこに平和」って、何だ? 平和を守るために、皆が、知恵を出しあっていかねばならない時に、誰もが反対するハズも無い「平和」を叫ぶって、信じられない。これは、何も語っていない事と同じやんか! 「がんこに平和 くらしが一番」・・・誰が、異を唱えるのだろうか? 
これは、争点には、ならないし、選挙公報の(あたま)に持ってくるのは、絶対におかしい!!​


​この社民党は、「沖縄・日本を再び戦場にさせない! 憲法いかす政治」とあるが、今、予想される戦争は、昔のような、日本が帝国主義的に、海外に進出・侵略するというものなのだろうか? このことは、ずーっと言ってきた。 ​
一定のシビリアンコントロールが効いている今の日本にとっての戦争は、​むしろ周りの全体主義・軍国主義国家群により、侵略されることの可能性の方が、はるかに高いのではないだろうか? 

​​そのための「防衛力の強化」こそが、日本人の命と暮らしを守るための最大の喫緊の課題では無いのか? それが、平和を追求する政治家の重要な仕事では無いのか??​​
​​社民党を率いる福島瑞穂は、そのことが全く理解できないで、何十年も能天気に(護憲)を叫んできたが・・・その誤りは、決定的だった。日本社会党時代からの(護憲運動)の(過ち)は、ボデイーブローのごとく、護憲派を叩きのめすまでに、なっているのだ。 何と言う事だろう! 
​​

​こんな大きな、決定的な(過ち)を長年にわたって、犯し続けてきた政治家(福島瑞穂)の「罪」は、どのようなものか??​
今回の総選挙での この社民党の選挙公報を見て、改めて、彼らの無責任体質をまざまざと見せつけられた思いだ。
​(僕は、この前身の日本社会党に、25年近く、平党員として在籍・活動したという黒歴史を持っていて、今、苦々しい思いで、それを振り返っている。そう・・・懺悔しか無いのだが・・・)​


「地上の楽園」を叫びまわって、多くの在日朝鮮人やその家族たちを「地上の地獄」に追い込んだ、日本共産党・日本社会党・・・その時の真摯な自己批判も、なされず、うやむやにされたままだ・・・・​
​「帰国運動」は、、1950年代から1984年(昭和59年)にかけて行われ、9万3,000人(うち、北朝鮮に渡った『日本人妻』は約1,831人)が、「地上の地獄」に送り込まれた。​
(歴史から学ぶ)とは、どういうことなのか? 我々は、いつまでも誠実な人生を目指すべきだと思うが、リベラルに人たちに 誠実さは、あるのだろうか? といつも考えている・・・

皆さんは、どう思われるか?   はんぺん
――――――――――――――――――――――――――
​​“在日2世”の脱北者が、北朝鮮の「大嘘」を暴く…! 日本から「北朝鮮に送られた人たち」の“生存率”と“現在”を徹底調査した…! ​2022.11.20  李 泰炅脱北者  現代ビジネス​​​
1960年代、北朝鮮は「地上の楽園」であるという偽りの宣伝文句で、「北への送還」旋風を巻き起こした。​1959年12月14日から1984年まで、93,339人が北へ送還されたが、その多くは「楽園」とは偽りの「地獄」での生活を余儀なくされ、いまも苦しんでいる。​

​では、約9万3千人の北へ送還された在日同胞のうち、現在どれくらいの人々が生存しているのだろうか。この疑問は、「北への送還事業」を知っている多くの人々の関心事である。しかし、現在、北への送還問題の真相解明と解決方法は、歴史の渦の中、露のように消えかけている。​

​そこで在日脱北者である著者は今回、多くの統計からその実態を洗い出す作業を行った。そこから浮かび上がってきた「現実」とは――。​

嘘だらけの「統計」から読み解く!
北へ送還された在日同胞93,339人中、現在の生存数を確認するのは、彼らを独裁から救出するための事業を案じるためには、とても重要な基準となるだろう。
​現在「在日同胞北送事業」はしばらく来て消える夏場の梅雨のように、歳月の流れの中で煙のように消えている。 統計と情報はすべての分野の礎石となる。​
しかし、​北朝鮮というもっとも閉鎖された国家で、現在の「北へ送還された在日同胞」の生存者数を算出することは、かなり難しい。​
すべてのことが国家秘密に属する北朝鮮において、​統計は、有利不利によって数字が改ざんされているため、意味をなさない。​

まだまだたくさん残っている・・・・
​簡単な例として、1990年代中盤の「苦難の行軍」によって、数百万の餓死者が出たということは広く知られたことである。​
正確ではないが、2010年11月に、大韓民国統計庁が国連の人口センサスを基に発表した北朝鮮の人口推計によれば、1996年~2000年の間で、33万人が餓死したとしている。

米国統計庁は、1995年~2000年の間で、50万~60万人と推計した。メディアによっては、2000年初中盤までで、300万人の餓死者という主張がされることもあった。
​いずれにしても、北朝鮮に関するすべての統計は、仮説に過ぎなく、資料的にも証拠となる部分が希薄であるということだ。​
​「北への送還事業」から、62年も経過した現在、「北へ送還された在日同胞」、とくに1,831人の日本人妻の生存の可能性が薄いことから、「帰郷と救出」事業も、もはや風前の灯火のようになっている。​

日本人妻はそうだとしても、​北への送還当時、日本人国籍で「北へ送還」された日本人たちが、まだ相当数残っているし、日本で生まれて、縁もゆかりもない北朝鮮に「帰国」し、「誘引抑留」となった「北へ送還された在日同胞」も、やはり、相当数生きている可能性が高い。​

年齢から「生存率」を推計する
彼らの生存率を調査することは、今後、彼らの「帰郷」を支援して救出するための、目的と方向性を提示する重要な統計資料として、位置付けることができるだろう。
今回、調査として、北への送還60周年関連の主な年表、在日朝鮮人帰還状況一覧表(昭和34.12~41.3)などの資料によって、北への送還回数、出発年月日、帰還人員、帰還総人員などの情報を得ることができた。北への送還当時の年齢が分かれば、現在の生存率を推測できるだろうと考えたわけである。
 
 なかなか困難な作業ではあったが、​1959年~1984年までの年度別の北への送還統計資料を求めることができたうえ、10年単位での「北への送還」年齢別統計資料に基づき、生存率を算出することができた。​


日本で得たいくつかの北への送還資料と、韓国統計庁が発表した北朝鮮国民の平均寿命、死亡原因の人口割合によって、現在の生存率を推計した。
​結論としては、1959年12月から1984年まで、93,339人が北へ送還された。北への送還60周年関連の主な年表、在日朝鮮人帰還状況一覧表、年齢別統計資料、韓国統計庁が発表した北朝鮮国民の平均寿命、北朝鮮の死亡原因などによって、89.1%にあたる88,611人について、概略的に統計を取ることができた。

「国別」の人数

​北への送還60周年関連の主な年表によれば、1959年から1984年までは公式的な北への送還記録が残っているが、それ以降、訪問団の形で北へ送還された人々は、記録されなかった。​
​ゆえに、実際の北への送還者は、93,339人以上いるはずである。​

1965年に「日韓基本条約」が締結され、その関係で、1968年から1970年までの3年間は、北への送還事業が中断された。

このときにはすでに、在日同胞と日本政府、いや全世界が、北朝鮮が「地上の楽園」であるということは、完全な嘘であることが分かっていた。日本がもう少し、「人道主義的な立場」に立っていたら、自国民を含む「在日同胞」の北への送還を再開することに、反対の意を唱えたはずである。

  国籍、性別、年齢別による北への送還統計から、朝鮮人81,962人、中国人7人、日本人6,642人が、北へ送還されたことが分かった。
男性:47,888人(54%)、女性40,723人(46%)で、男女比率は大差なかった。

北朝鮮の「平均寿命」
韓国統計庁に発表によれば、​北朝鮮国民の期待寿命は、男性:67.0歳、女性:73.8歳だ。​​
  北への送還が始まった1959年度を基準として、1950年代生まれの人が全員生存しているのならば、数字上では、1950年~1960年生まれ(73~62歳)の生存者数は、23,016人だ。
これは、計算上の数字なので、韓国統計庁が発表した北朝鮮国民の平均寿命などから、北へ送還された在日同胞が、北朝鮮で60余年間暮らして、今も生存している可能性を推測してみた。

2019年9月、国連傘下のWHO世界保健機構の報告によれば、​北朝鮮住民10万人あたり、死者数193人の脳卒中がもっとも多い。その他、新生児感染症をはじめとする感染症、肺疾患、心臓疾患、下痢、マラリア、交通事故、結核、エイズ、肝硬変などがつづいている。​
 もちろん、1990年代の「苦難の行軍」につづき、コロナ19、自然災害、さらに深刻な食糧難といった要因が、北へ送還された在日同胞の生死にも、強く影響を及ぼしたに違いない。

​「地上の楽園」は「地上の地獄」だった​
このような統計資料に基づいて、「北へ送還された在日同胞」が、​今までの60余年間の北朝鮮生活に適応して生存できる確率は、約半分だと仮定すれば、その生存者数は、11,508人となる。​
  93,339人の北へ送還された在日同胞のなかで、日本人が6,839人(子供含む)であることから、​生存者推計数11,508人の7.3%にあたる、840人あまりの日本人が生存しているといえる。​

カルカッタで締結された「北への送還」協定によって、1959年12月14日、最初の「北への送還」船が出発してから、63年が過ぎた。
 ​北朝鮮は「地上の楽園」と謳って、在日同胞を歓迎したが、歓迎された彼らは、到着したその瞬間から、ここは「地上の地獄」であり、騙されたことがわかったのだった。​
 脱北を試みたり、不平や不満を表すと、政治犯収容所に連行された。
言論の自由、居住、移動の自由もなく、生存権まで脅かされた。

果てしない「奈落の底」
そんな北朝鮮の本当の姿を、日本にいる親族たちに教えようと、先に北へ送還された者たちは、あらかじめ約束していた方法で、「地上の地獄」の現状を知らせた。
 ​先人の犠牲の対価として、日本に残った両親、兄弟、親族らは、彼らに送金し、救援した。​
当時、日本からの支援なしでは、とても生きられない「地上の地獄」であった。​日本から、果てしなく送金を繰り返したが、地獄での人生は、果てしない奈落の底に落ちて行った。

​​ 日本の社会でも、「北朝鮮難民救援基金」、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」、「NO FENCE(北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会)」、「日本人妻自由往来実現運動の会」など、「北へ送還在日同胞」と「北へ送還日本人」のための事業が発足し、活発に活動開始した。​​

しかしながら、​「北へ送還された日本人」と「北へ送還された在日同胞」に対する、終わりなき支援事業と訴えてお願いして泣き叫んでも、​微動だにしない北朝鮮当局に対して、多くの団体は北朝鮮人権運動に疲れて果て、その活動は徐々に弱体化している。​​
 そのうえ、「北へ送還された在日同胞」と「北へ送還された日本人」の生存の見込みも希薄であるという状況が、私たちの勇気をさらに鈍らせている。

「いまも助けを求めている人たち」がいる
それでも、母国が日本の「北へ送還された在日同胞」約11,500人と、日本が故郷の「北へ送還された日本人」 約800人は、いまだに北朝鮮という地獄のなかで、助けを求めているのだ。
 北朝鮮というもっとも閉鎖された国家から、現在生存している「北へ送還された在日同胞」を救い出すことは、かなり難しいだろう。
 だが、​ひとりの人権が保障されることが、全体の人権も保障されることにつながる。​
 「北へ送還された在日同胞」と「北へ送還された日本人」の「帰郷」と「自由往来」のために、最後まで一緒に努力してくれることを、心の底から嘆願してやまない。
  さらに連載記事『「在日2世」だった私が、北朝鮮に騙されて行かされて「地獄の数十年」…“脱北者”が明かす「苦悩」と「悲しい現実」』では、私が実際に体験した北朝鮮の“地獄の現実”についてレポートしよう。
――――――――――――――――――――――――――
​​脱北者:李 泰炅​​
​1952年、山口県下関市で生まれる。1959年、下関朝鮮初中級学校に入学。1960年、在日朝鮮人の帰還(北送)事業により家族で北朝鮮へ渡る。1971年、朝鮮人民軍に入隊。1986年にP医学大学を卒業、医学研究所の研究院を経て、2001年に病院長となる。2005年に脱北するが、ヤンゴンで「不法入国」の罪に問われ2年3カ月服役する。2009年に韓国入国。現在「北送在日同胞協会」会長として北朝鮮の自由民主化のために在日脱北者たちと活動している。​​​​​​​​​





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最終更新日  2024.11.10 14:22:28
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