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「権力を批判する自由」を守れ!! リベラルたちは、真摯な反省を恐れるな! 独裁者を非難・糾弾せよ! 2024-11-12 はんぺん
日本には、(権力を批判する自由)がある。それを我々は、当たり前のこととして理解してきた。 しかし、世界には、この(当たり前の事)が許されない国家が、数多く存在する。その多くが、全体主義国家であり、その典型は、共産党独裁国家だ。 日本の進歩的と言われてきた人々は、悲しい事に、(社会主義)に(洗脳)されたままで、変わることなく現在に至る。そのため、社会主義・共産主義による、凄惨な蛮行に対して、見て見ぬ振りを続けてきた。 たとえば、あれだけ(アメリカ帝国主義による侵略戦争反対)を叫んできた人たちは、社会主義ベトナムにおいて、なされた、大量の住民弾圧、人権弾圧・虐殺に対して、非難・糾弾することは無かった。 たとえば、北朝鮮・金日成による(在日朝鮮人の帰国運動)の無残な結果に対して、あれだけ扇動を繰り返してきたにもかかわらず、知らなかったから・・・という言い訳で、自己批判も無く、地獄に送り込んだ在日朝鮮人の救出に動くことも無かったのだ。 たとえば、社会主義協会などは(ソ連バンザイ)の論調を 長年張り続けて、扇動を繰り返し続けたが、ソ連の崩壊、社会主義の人権不在の現実が、暴露されたにもかかわらず、真摯に向き合うことは無く、今も国民を愚弄し続けている!! たとえば、僕の友人は、毛沢東に心酔し、文化大革命の最中に、親中友誼行に参加しながら、その後の(文革の惨状)が、明らかにされる中で、真摯な反省(自己批判)をしたという知らせは、ついぞ無かったのだ! たとえば、北朝鮮礼賛だった社民党(日本社会党)・・・「北朝鮮が拉致するハズは無い」(土井委員長)と大見えを切ったにも拘らず、2002年の小泉訪朝で、金正日が(拉致を謝罪)する中、見苦しい言い訳ばかりで、その後の反省(行動)は、皆無だ!!! これが、日本リベラルの惨状だ。何と言う事だったのだろう!!! きちんと反省できない彼らには、政権を取ってほしくない! と言ってきたが、今も、それは変わらない!! 下記の朝日新聞の「天声人語」は、全体主義の本質を紹介したモノとして、評価する。いかに、この共産党独裁国家の下では、国民の(いのちとくらし)が、軽く見られているかを端的に示す事例だ。 選挙制度は、形式だけ・・・アリバイづくりのため。 いったん権力を握れば、自民党の利権集団と何ら変わらない、がめつさ、そして権力争い・・・・・だ。 国民は、その(おこばれ)に預かることはできるが・・・・ 皆さんは、どう思われるか? はんぺん ――――――――――――――――――――――――――――― お薦めの候補者 天声人語 2024-10-27 朝日新聞 投票用紙を手にすると、思い出す光景がある。 10年ほど前、中国の選挙を取材していたときのことだ。 実際に有権者が投票するところを見たいと思い、友人に相談すると、「じゃあ一緒に投票に来たらどう?」。付き添いとして投票所に入らせてもらった ▼北京の地区の代表を選ぶ選挙だった。投票用紙をもらう場所と、投票箱との間に相談コーナーがあって、係の女性が笑顔で話しかけてきた。「この人がお薦めですよ」。ひとりの候補者の名前が指さされていた ▼中国の選挙は、立候補が自由にできない。選挙運動もほとんどできない。だから、候補者を知らずに投票所に来る有権者が多く、その場で誰に票を投じるかの相談に応じているのだという ▼「茶番」という文字がくっきりと頭に浮かび、思わず笑ってしまった。当局が認めた候補者のなかから、特定の人物への投票をさらに薦める選挙とは何なのか。〈民の欲する所は、天必ずこれに従う〉と古人は言ったが、「これでは、何も選べないよね」。友人も苦笑していた ▼翻って、日本の選挙を思えば、問題は多々あれど、それは重く、尊い制度である。大事にすべきものだけに、昨今の投票率の低さが心配になる。民主主義も、自由も、空気に似ている。失ってから気づいても、もう遅い ▼きょうは衆院選の投開票日。期日前投票が広がるなか、投票できる最終日ともいえようか。私はきのう投票した。投票用紙を前に背筋を伸ばし、鉛筆を握る手に、ギュッと力を込めて。
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最終更新日
2024.11.12 03:08:45
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