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お茶時間<Hanoen>

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カテゴリ:私事
タイトルがちょっと重いんだけど
さらっと流しながら読んでほしいのだ。

私は幼少のころは割とスパルタ的に育ててもらったと思っています。
別に虐待とかあったわけではないけど、しつけは厳しかったほうかなと
大人になって、友達同士の話からそんな気がしています。

だけどそれが大人になってどう影響したかなんて、
私には分からないし、正しかったのか正しくなかったのかなんて
一概には決めることもできないし、決めなくてもいいと思っている。

今、自分の人生がどうなのかは自分しか判断できないし
この世に生まれてまぁまぁよかったのかな、と思えればそれでいいと思っています。

社会に出ていろんな人とかかわって、また世界中(でもないけど)旅して
そういう環境だって自分を広げてくれたし、変化させてくれたし
人は環境によっても変わるものだから、どう育てられたかはそんなに重要じゃない
かもしれないな。

そしていろんな中の成長で「自分の考え方」というものが構築されてきた。
それは間違いないよね。

ただ「自分の中のルール」というのが、年を重ねるごとに
なんというか、固く自分の中にできてくるのね。1本筋が通った考え方みたいなの。
自分ルールを持っている人は、時に人から見れば「自分を持っている人」だから
とても素敵にみえるのよ。また仕事でもある方面では才能を発揮したり。

そして時にその「自分ルール」が生き方を「生きづらく」することも
あるような気がしています。
最近常々思うのだけど、「こうするべき」みたいな観念とか倫理とか
そういうものを強く持つことはとてもいいことなの、だけどそれは
あくまでも自分のルールだから、相手には全く伝わらないし、そうでなかったり
したときに、なんかこうすごく「ストレス」になったりするんです。

私の場合はまさに嫁姑の関係でそれがわかったのだけど
自分が幼きときから教えられてきた、あるいは社会に出て学んできた
「こうあるべき」は必ずしも婚家には「そうでない」場合があるということなのね。

同居がつらいとか、もうそういうことはないのですが
他人と暮らすということは、いろいろぶつかることも多いじゃない?
互いに「こういうもの」というルールがぶつかったときに
相手を気遣うばかりに、何も言えなくなってストレスを生む。怒りを生むんだよね。

だから「ルール」は自分だけのもの、って考えたほうが楽だよね。
自分のモットーは相手に押し付けない。
モットーやルールはもっていていいの。だけどそれは自分の生き方に生かして
他人とのかかわりの中で、うまく表現することは大事だよね。
そう「表現」することなんだよね。

自分の中のルール、倫理って持っている人は本当は素晴らしいの。
だけど、それをうまくうまく自分と共存させなければいけないのね。

私は他人から「怒りっぽい」ってよく言われるけど
たぶん、このルールを自然に人に押し付けていたんだなぁと反省しています。
人には人のルールがあるから、自分とは違うということ。だから
怒りをなくして、楽しい生き方を選択していければいいなって思います。








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Last updated  May 13, 2013 11:52:28 AM
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