9合目に着き山小屋に入ったときには、さすがにヘロヘロで「ああ、あとは布団の上でごろごろしていられる」という安堵感が押し寄せてきました。
お水をもらって一息入れ、案内するまでここで休んでいてくださいという言葉に食堂で手足を休めていました。
歩いていると暑くなってくるけれど、じっとしていると寒くなる。北海道の平均気温と同じだそうで、どんどん体が冷えて火にあたりたくなります。そして「お部屋に案内しますね」と言われて、待ってましたとばかりについていったところは、壁で仕切られた小さな個室。ほとんどが雑魚寝という山小屋にあって、壁で仕切られているのは嬉しいけれど、布団が敷き詰められた上に腰を下ろしたら布団がとっても冷たい。
お布団を取り込んでいるのは見かけたので、外に干してあったらしいのだけど、頻繁に訪れる霧のせいなのでしょう。湿気をたくさん含んで、ひんやりと冷たく、体を横たえると体温をどんどん奪われていきそうでした。
横になりたいけれど、冷えた体にはこたえるのでとりあえずそれぞれに持っていった洋服を着込み、(半袖→長袖→フリース)その上に湿気防止にレインコートの上下を着込みました。
そのあとは食堂で葉書を書いたり、お喋りしながらストーブで暖をとっていました。
明朝の御来光が4時半と聞いていたので、早く寝ようと5時に食事をとり、6時には(覚悟を決めて)布団に入りました。
そう、このとき息子がだるそうに見えたのです。まぁ、1000m登ってきたのだから疲れているのは当たり前なのだろうけど。でも、結局夕ご飯のカレーを食べる前に眠ってしまったのが気になっていました。
寒さでよけに体力を奪われないよう、持っていったホカロンのほかに、手持ちが少なかったので小屋で売っているホカロンを購入(1つ200円でした)。息子のお腹と背中にも入れて寝かせました。
それぞれみんなにホカロンを渡し、自分も入れて横たわるとけっこうポカポカと眠れそうでした。
それにしても、あとから夫とも話していたのですがまわりの泊まり客(次から次へとやってきてけっこういっぱいでした)のかたたち、「あ、お布団が冷たいね」とかそういう言葉が聞こえてきませんでした。「あれ?」という感じだったのですが、皆さん山小屋というのはそういうものと達観してしいるのかな。
レインコートの上下を着込んだ家族はうちだけだったかも。
でも、その格好のおかげか?すぐに深い眠りに入っていって気がついたらお布団もしっかりかけて7時間ほど熟睡していました。
山小屋の朝は早いのです。夜中の1時ころから起き出した人たちの声で次第ににぎわってきます。そして、頂上で御来光を見る人は4時半の日の出に間に合うように、出掛けていきます。
私たちは、小屋から少しだけ歩いた場所から見る予定だったので、まだまだ時間はある。
だけど今外に出たら天の川が見られるかもしれない。急く気持ちもありながら、眠たくもあり3時頃になったら見に行こうと話しながら期待を抱きつつまどろんでいました。
そうしたら、先に見に行った夫が月明かりで星はあまり見えなかった、と。
残念に思いながらまたまどろんでいると、3時に山小屋全体の灯りがつき、「頂上に行くかたは起きてください」と起こしにきました。
しっかり眠ったので、すっかり目が覚めトイレに行ったり用意をはじめ・・・このとき山小屋の窓から外を見たのですが、快晴だったため麓の明かりがちりばめられたように瞬いているのが見えました。月明かりで星は見えなかったけれど、これもはぁ~~~~っと溜息が出るような眺めでした。3200mからの眺めはやはり、ダイナミックです。
そして皆で4時に日の出が見られる場所をめざしました。山小屋から100mくらい行った場所で、富士山の肩ごしに御来光を見られるのです。
外はものすごく寒い。毛糸の帽子をかぶっている人が多かったけれど、ほんとに真冬の格好をしていてちょうどいいくらい。
・・・息子を抱きしめていたけど、あまりにも寒がるので夫が心配して日の出を見る前に小屋に連れて帰りました。
私と娘で、肩を寄せ合いながら空がオレンジいろになり、雲からひょっこり頭を出したオレンジ色の塊がどんどんその姿を見せるのを見ていました。
娘は寒がって、「出たね。じゃぁ、先帰るね。」と、さっさと帰ってしまいました。「もうっ。」と思いましたが、う~~~ん、確かに感動!というより「ああ、あれが日の出なのね。」という感じでした。寒さで感覚が麻痺していたのかな。でもあの眩しい塊はしっかり頭に残りつづけるかも。
その後は皆でまた2度寝です。・・・・そして朝ご飯。・・・この時も息子だけは朝ご飯をとることができませんでした。気持ち悪い、頭が痛い、食欲がない。・・・高山病の症状です。
酸素カンも持っていったけれど、高山病でもっとも有効なのが高度を下げること。
夫は用意周到に徐々に体を慣らしていく計画を立て、一泊することも予定に入れたのだけど、高山病というのはまったくならない人もいれば、2000mでもなる人はなるという体質的?なものだそうです。
体力的にはたぶん問題のなかった息子も、こんな症状では下山するしかなく、登頂をあきらめました。
あまりにいつもの元気がないので、私も登頂どころではなくなっていました。
下山をはじめ、娘も仕方がないことと承知してはいたのでしょうが、やはり9合目まできて頂上に行かないというのが悔しかったのでしょうね。
気がつくと目をこすりながら後ろのほうを歩いていて、ついには涙まで流していました。
いつもは山に登るのを億劫がる娘です。今回も夫が頂上まで登ったら、娘が欲しがっていた本(BONte)とハムスターを買ってあげるという約束をしたからだったのが、いつの間にか杖に全部の判を押してもらうことになっていたらしく・・・。
でも息子は途中でとうとう吐いてしまい、8合目まで下りて休憩してもいっこうによくなる気配がないので、夫が2人(私と娘)で頂上まで登ってきていい、宣言をしたのです。
ここで少々自分も高山病気味になっていた夫と、息子は下山。私たちは登頂という二手に分かれることになりました。