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夫に勧められて娘と映画『ルワンダの涙』を観てきました。
あまりのシーンに見終わってから言葉が出てきませんでした。 アフリカ、ルワンダ国でのフツ族によるツチ族の大量虐殺。 起きたのは娘が産まれるほんの少し前、1994年の4月のことでした。 娘が産まれたその年に、こういうことが起きていたのをまったく知りませんでした。 この映画は事実を元に描かれています。 長年、部族間での争いが絶えなかったフツ族とツチ族、当時フツ族出身の大統領が飛行機事故に遭い、それがツチ族による暗殺ではないかということを発端にツチ族の大量虐殺が始まります。 それがすさまじいものなのです。 兵士同士の争いならまだ理解できる、でも民兵と化した一般市民による一般市民への虐殺。 ツチ族のリストをもった人たちがツチ族と分かるや、子ども、女性関係なくナタや銃で殺していくのです。 母親から赤ん坊を引き離し、赤ん坊の頭を死ぬまで木に打ち付ける。 おびえて震えている人を弄ぶかのように、数人で茂みに連れて行き大きなナタを何度も振り下ろす。 町中に死体が横たわり、その中でナタや銃をもったフツ族が獲物を待つかのように、あちこちで道をふさいでいます。 恐怖に駆られて、また一個人に対する長年の恨みによる反動的な殺害、というならばまだ理解できます。 けれど、自分と接点がないような人を殺していくというのが理解の範囲を超えていました。 ツチ族というだけで、同じ人間。自分の両親、祖父母、娘、息子・・・そういった大事な人たちの顔と重ならなかったのか? 血のしたたるナタをぶら下げて、ためらいのないような勝利したような面々に凍り付くような恐怖感を感じました。 ツチ族が救いをもとめて、逃げ込んだ国連の平和維持軍の駐留する技術専門学校。徐々にフツ族に取り囲まれた国連軍は数日後、何も解決せずにツチ族を残して撤退を決めます。 残されたツチ族はその学校でフツ族によって虐殺されるのです。 1994年その虐殺の始まった日から100日の間に80万人のツチ族が虐殺されたといいます。 「国連軍は何もしなかった。国際機関が紛争国の仲裁に乗り出すには二つの明確なルールがあるのだろう。その一つは当事者たちが白人であること、二つ目は当事者たちが西側が求める何かをもっていて、それが安全保障理事会の利益になるものであることの二つだ。 しかし当事者が黒人で、貧しい国であった場合には関係ない。自分たち同士で勝手にやってくれ、となるのだ」とプログラムに書いてありました。 私には、フツ族の冷淡な虐殺があまりにも衝撃的で、人間としての普通に育んできた感情(家族愛とか隣人愛とかから派生するもの)があまりに欠落しているようで、 国連軍が関与して力で押さえつけたとして部族間の抗いが消えるのか?と思えてしまいました。 この映画の中で実際にいた人物をモデルとして登場するクリストファー神父という人がいます。 彼はこのような状況の中で(30年この地で過ごしてきた外国人の神父なのですが)、 弱いものの近くで励まし続け、ツチ族の人たちの心のよりどころとなります。 最後の最後まで、逃げることなく守り抜きます。 このような人こそ、この状況を助けられるのでは・・・と思いました。 フツ族によって撃たれてしまうのですが。 ここまで民族間の争いが大きくなる背景には根深いものがあるのでしょう。でも、弱くも、ときには残酷にも姿を変える人間の中で、尊いもの、 もっとも強くもたなくてはいけないものを感じた気がしました。 まだまだ思考途中なのですが・・・。 ******* あとから調べて分かったのですが、もともとフツ族とツチ族の間にベルギーが関わり、ツチ族だけを優遇することによる人種差別意識の植え付け、 フランスによるツチ族排除の助長などが民族間の争いに関わっているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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