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2013年03月15日
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カテゴリ:日々雑感
覚書・・・心から尊敬している知識人の中に「最首 悟」さんがいらっしゃいます。宇井純さんと同様に、助手時代から水俣病問題に関わったために、透徹した知性をお持ちなのに研究者としての出世を阻まれ、東大では助手どまりにされてしまいました。京都大学で、東大系の原子物理学者が原発礼賛で出世を欲しいままにできているのを尻目に、一貫して原発とその核毒物の蓄積と処理に警鐘を鳴らし続けて来られた小出さんたちの不遇につながるものを感じないではいられません。

<<不知火海の漁村で、ネコが狂い死にする異変が起きた。やがて奇病が人々に広がる。手足がしびれ、もだえ苦しみ死ぬ人もいた。チッソの工場廃水の有機水銀が引き起こした水俣病である。
 77年、熊本で司法修習中の板井優(57)は、水俣診療所で医師をしていた妻八重子(59)の訪問検診に付き添った。幼い息子を負ぶい、潮の香が漂う漁村を回る。
 「妙にゆっくりとした足取りの漁師や、手が震える奥さんがどんどん集まってきた。水俣病が見つかって20年以上たつのに、まだこんなにたくさん患者がいるのか。圧倒されました」

 板井は沖縄で生まれた。米軍占領時代、中学2年のとき、中学生が米軍のトレーラーにはねられて死んだ。だが、はねた米兵は無罪になった・・・弁護士になって復帰運動をしようと熊本大に進み、医学部にいた八重子と出会った。
 板井は熊本にとどまり、チッソを相手に千場茂勝(81)らが取り組んでいた水俣病裁判の弁護団の一員になる。国の基準では水俣病と認められず、補償を受けられない患者が大勢いた。この人たちを救いたい。80年、国と熊本県の責任を問う新たな裁判を始めた。
 当時、専門家は「行政にまで責任を負わせるのは無理だ」といった。勝つためには悲惨な現実を突きつけるしかない。板井は、八重子が往診していた宮内一二枝の家に、熊本地裁の裁判長相良甲子彦(73)らを案内する。
 一二枝は当時27歳。母親の胎内で水銀に侵され、生まれてからずっと寝たきり。好きな演歌を聞くと「あー、あー」と機嫌よさそうに声をあげた。
 相良が家に入ると、布団の上に赤い晴れ着姿の一二枝がいた。目が合い、嬉しそうな顔になる。こんなことがなければ、年頃の娘としてどんないい人生を送っていただろう。相良はその夜、雨を見ながらつぶやいた。「わたしの心にも雨が降っている」
 2年後、一二枝は他界した。
 相良は87年、国と県の責任を初めて認める判決を書く。「こんなことが許されていいのだろうか、という思いでした」・・・いま、千葉で弁護士をしている。
 しかし、国側は控訴した。8年後、自社さ政権の首相村山富市(82)の内閣が「国の基準を満たさない患者に一時金260万円を支払う」との解決策を示す。
 「水俣病としての救済を求めてきたのに、金を出して黙らせるのか」「これを逃せば、解決はいつになるのか」・・・・老いゆく原告達と板井ら弁護団は苦渋の選択を迫られ、政治決着を選んだ。
 いま板井はいう。「1万人以上の救済につながったのは確か。でも、国の責任はあいまいなままだった。忸怩たる思いがないといえば嘘になる」

 全国各地の水俣病裁判は政治決着を受け入れ、次々に終わった。唯一、国を追及し続けたのが関西訴訟である。その弁護団の事務局長を務めたのは田中泰雄(54)。
 田中は79年、新人弁護士として大阪の松本健男(76)の弁護士事務所に入り、松本から「水俣病をやれ」といわれた。「もう終わったことと思っていた」が、患者の川上敏行(82)らから積年の苦しみを聞き、のめりこむ。
 川上の義母は、作家石牟礼道子(79)の「苦界浄土」に描かれた劇症患者。激しく全身が揺れ、もだえる姿を納めた記録映画がある。この映画を法廷で上映した。
 「しかし、通産省の役人は証人尋問で『自分達のしたことは間違っていない』と平気でいう。人の命なんて何とも思ってない。国を恨む原告達の思いをひしひしと感じた」と田中。
 04年10月、最高裁判決。被害が広がったのは国と県が手をこまねいていたせいだと批判した。提訴から22年、原告の4割の23人がすでに亡くなっていた。尊い命とひきかえに手にした勝利。「感無量でした」と田中は振り返る。
 この判決後、新たに1千人以上の患者が国を訴えた。「ノーモア・ミナマタ」訴訟だ。その弁護団に、かつて板井に負ぶわれた長男俊介(30)が弁護士となって加わっている。    (2007.2.6 朝日新聞夕刊より)>>

日々の生活に追われているうちに、生活に追われることさえできなくされている人や国もあることを忘れがちになってしまうのが哀しいですが、「水俣を忘れない」という気持ちだけは失わないようにしたいものだと思います。海援隊の「水俣の青い空」は、石牟礼道子さんの作詞ながら、武田鉄矢の語りの染み入り方は尋常ではありません。

そして、予想通りの破綻を見せた福島の原発をはじめとして、今後のありとあらゆる原発関連疾患や低レベル放射能の持続的環境被害に対して、同じロジックを使って無視したり圧力をかけたりしてくるものと感じます。「ノーモア福島」として語り続けたいものの一つです。





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最終更新日  2013年03月16日 05時31分18秒
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