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カテゴリ:想うこと
昨日、この10か月ほどずっと抱えていた問題が最終解決いたしました。
昨年、入学早々の小学校で問題が発生し、子供が一般的にいう「被害者」のうちの一人となってしまったのは、本当に心が痛むことでした。 かなり深刻な事件でしたので、それだけでも痛い体験でしたが、その後の学校対応の悪さから事態がこじれ、警察を巻き込んでの大騒ぎとなり、保護者達も心身ともに消耗する問題へと発展しました。 しかしかたくなで無神経な学校の対応から問題は更にこじれ、怒り爆発の保護者が教育委員会への直接談判。 そこで初めて学校対応に問題があったということが認められて学校へ指導がはいりました。 具体的に全職員対象の職務研修や児童心理研修も行われたり・・・ということも行われました。 しかし、新学期となり、謝罪どころかPTAで目があっても挨拶もしない問題の該当職員(結構な役職の人)は人事異動になっていませんでした。 これではまた同じことの繰り返しになると、再度教育委員会に話を持ちかけ、やっと昨日該当職員・校長・関係保護者の話し合いを持つことができました。 幸い今年は校長が変わり、考え方が柔軟なやり手の校長のようでしたので、話はスムーズに運びました。 校長がその場で該当職員に謝罪を促し、それを受けて職員もやっと謝罪をしました。 その後の話で子どもたちの心のケアを含めた今後の具体的対応について話もまとまりましたので、保護者としてホッとしています。 しかし、誰もが「この対応には問題があった」ということに対して「すみません」のたった一言を言うのがいやで1年も問題を引きずって、該当職員自身もつらくなかったのかな?と不思議でなりません。 これだけ大騒ぎになると、ご自身の評価にとっても決してプラスにならないと思うのですが・・・。 「悪気はなかったから」という部分にしがみついていたんでしょうか?それとも単に無神経な方なのでしょうか?判断しきれません。 私と同年代で、同じ年齢のお子さんを持つお母さんでもある方なのに・・・。 事務的なことではかなり優秀な方らしく、学校の中ではかなりのキャリア組の方でしたので、プライドも高かったのでは・・・と推測していますが。 今回「すみません」の一言がなかったことで、多くの保護者が激怒し、憤り、心身ともに消耗しました。 「ネットに書き込んでやれ」とか「マスコミで暴け」とか言う保護者もいましたよ。 そのくらい、みんなの怒りを誘発してしまったのです。 たとえ悪気がなかったとしても、子供たちに問題を起こしてしまったのは事実ですから「自分に非がある時は謝る」というのは、人間として基本だと思うんですよ~。 子供たちの教育を担う学校職員がそのレベルでは、本当に困ってしまいます。 ご本人の為にも、これを機に気づいて変わって下さればいいな・・・と思います。 今回は教育委員会の中にも対応の感じがすごく悪い人(某課長)がいて、久々に電話口で「その口のきき方は何ですか!」と、思いっきり怒鳴り飛ばしてしましました!(笑) さすがに先方はびっくりされたようで、その後長くお話する中でこちらの事情をちゃんと理解して頂いたところ、態度が一変して良くなりましたが。 相手によっては、時にはインパクトのあるパフォーマンスが必要ですね。 ヒーラーというと「何でも許してくれる」「何があっても怒らず受け止める」と思う方もいらっしゃるようなんですが、少なくとも私は違います。 肉体という限界をもって生まれている以上、怒りがわかないということはありません。 ですから、冷静に考えた上で、正当な手段で、建設的に解決する方向性で、表現するべきだと思います。 今回も事件を文書にまとめて提出したり・・・というように、第三者が客観的に判断できるように様々な準備をしたことは正解でした。 最終的にとても建設的な方向性でまとまり、新校長による新しい体制の学校側ともよくコミュニケーションがとれるようになり、本当によかったです。 でもここに至るまでの怒りといったら、すごかったですよ~(爆) やっと解放できて、本当にうれしいです☆ 時々「怒りがわいてきて抑えられない」と悩まれているクライアントさんがいらっしゃいます。 でも、怒りがわくこと自体は、全然悪くもなんともないんですね。 だって、わいてきてしまったのなら、仕方ないではないですか。 問題は、それをどう扱うか・・・なのです。 もちろん、一言に怒りと言っても、その原因には様々なものがありますので、解決方法はひとつではありません。 場合によっては他の人の迷惑にならないようになら、ともかく一度ドワ~と吐き出すことが必要な時もあります。 それはその時々の状況に従って対応が必要です。 ともかく、怒りがわいてきたら、まずはその怒りを認め、そして冷静に問題点を判断して、どうしたらその怒りを手放せるのか、考えてみてくださいね。 怒りやそれに付随する様々な問題は、カルマであり、人生の学びであり、適切に扱えば光に昇華することも可能です。 つまり、祝福の別の形であるともいえます。 どうぞ皆様にも、光の方向に向かった解決が訪れますように・・・(^^)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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