今日はちょっとショックなことがありました。
私が参加しているあるスピリチュアルな勉強会で指導的な役割をしているTさんが、しばらく前からお病気だったのですが、明日非常に大変な手術をすることになっているそうなのです。
もしかしたら命を落とすかも・・・という難しい手術なのだそうです。
ご本人はさすがスピリチュアルな学びをしっかりとなさっている方で、きちんとお病気と向かい合って覚悟もできていらっしゃるので、私が動揺しても仕方ないのですが・・・(苦笑)。
まだお若いんですよ・・・。
もちろん、明日の手術が成功なされば、体力もあるし、またきっとお元気な姿を見ることができるのだとは思いますが、こればかりは人間にはどうなるか決められません。
私たちはつい「引き寄せ」とか「願望達成」とか、何でも頑張れば自分で何とかできると思いがちですが、実は自分の命自体はどうしようもないのですよね・・・。
命は、まさに「神様の領域」だと思います。あまりに神聖で、とても立ち入れません。
それに比べると、日々の願望などは、ある意味「お遊び」のレベルなのかもしれません。(それはそれで非常に大切なことなのですが・・・)
昔、マリ共和国(アフリカ)で医者のいない村に滞在していました。
私が村でマラリアになったとき、首都に帰るための車と運転手はすでに村を去っていて、3日後まで迎えに来ない状況でした。
でも、熱帯熱マラリアは3日も放っておいたら死んでしまいます。
その時は運よく、ファンシダールというマラリア薬をたまたま持っていましたので、すぐに飲んで治すことができました。
でも、あの時もし持っていなかったら・・・今私はここにいなかったかもしれません。
なぜあの時、あの薬を持っていたのか・・・それも、私には分かりません。私をそこで死なせないために、何かが働いていたとしか言えない気がします。
また、今はこうして元気にしていますが、いつ事故か何かで突然命が無くなるか分かりませんよね。
反対に「もうダメか・・・」と思われていた瀕死の病人が、奇跡の生還を遂げてピンピン職場復帰・・・ということもありますし・・・。
まさに、命は神の御心としか言いようのないことですよね。
ですから、ヒーリングを単に「病気を治す」という現世利益的な観点からだけ見てしまうと、空しくなるような事も多くおきます。
過去に末期がん患者さんのヒーリングをしたことがありましたが、その時も色々と思うところがありました。
でも、それでもヒーリングをすることには、大きな意味がありました。
それは、「ヒーリングとは」というような理屈や、きれいな言葉では表現できない、非常に深いエネルギーの交流でした。
治すとか、そういうレベルではなく、魂と魂の交流でした。
そして、そういう経験を通しても、私は基本的に「生命志向」です。
最終的にはカルマは超えられないとしても、可能な限りプラスの方向性に動いていきたいと思っています。
人によっては、「ヒーリングは意味がない」「あるがままに」という方もいらっしゃいますし、それも一つの考え方だと思いますから、否定はしませんし、尊重致します。
でも、私自身は「最後までできることはしたい」という生き方なんです。これって、ただ往生際が悪いのでしょうか!?(苦笑)
こんな性格だから、ヒーラーをやっているんでしょうね・・・(笑)。
今日はTさんから、また生死について考える機会を与えてもらいました。
Tさんと私は特に親しい間柄ではありませんでしたが、とても違うゆえに良い意味でお互い沢山の学びがあった相手だな・・・と思います。
神の御心ならば、またTさんと色々な学びを続けていきたいです。
明日の手術がどうぞ成功しますように・・・今日はTさんの為にお祈りしたいと思います。