1月11日・・・・ショッキングニュースから一日経って
昨日からほとんど笑ってなかった。 笑おうと思っても顔の筋肉が持ち上がらない。 こういうことってあるんだな、と思った。 夕べやはりショックを引きずっていてあまり寝られなかったので、 朝起きても頭がぼぉーっとしていた。お天気がよかったのが救い。 9日には、本棚の奥にしまってあった「レ・ミゼラブル」原作文庫本の第一巻から改めて読み始めようと取り出してブックカバーをかけたところだったのだが、 なんだか厚い本5冊読み直す気力は10日のことで、一気に失せてしまった。 映画も素晴らしいと思っていたが、やっぱり自分の中では舞台のレ・ミゼラブルのあくまで「前座」みたいな感じだったんだ、とあらためて気づく。 レミの配役が発表される前は・・もし出ないならそれはそれで、どこかすっきりするかもしれないな、と心のどこかで思ってた。6か月毎日レミや祐バルのことが気になる生活・・やっぱり「長過ぎる」と思ってたのかもしれない。前回の5月の祐バル楽が卒業でもいいくらい素晴らしく「この日が来ないで欲しいと思った」という山口さんの言葉には、オーディションを受けて頑張る、といいつつも、どこかすっきりと区切りがついたような思いが感じられたこともあった。 しかし出る、と決まってあのようなきれいな新ビジュアル写真もでて、彼の意気込みも読んで、拡大コピーをしてファイルした。これは決定!と心がそういう方向に走り出してしまっていた。そのあとで、いきなり外されてしまう、というのがこんなに自分に大きなショックを与えるとは、自分でもすこし意外だった。 よく自分をみつめてみると、レミゼという演目に出ないことよりも、あんなに明るく節制に努めて大きな愛をもって前向きに頑張っていた祐一郎さんが、まさかいまさらこんな形でニュースになることが起こりうるなんて・・・そして、次にいつお会いできるのかもわからぬ不安・・パニック状態に近い動揺によって一種の抑うつ状態に傾き、非常に不安定になった、という感じだった。 その状態は、一日たってだいぶ落ち着きはした。でも、なにかの拍子に大きな影のような不安感に襲われそうになる。 今日も小さな電気ストーブを点けたのだが、そこに両手をかざしてあたろうとした瞬間に、レミゼ舞台で火で手を温めようとして追い出されるバルジャンのシーンを不意に思い出してしまい、涙がぽろぽろと出た。 食事をしても、なんだか味がしない。 別に熱がでたわけではないのに。 今日の私はのっぺらぼうのようにきっと無表情だったと思う。それでも、1つでもなにか片づけをしないと落ち着かないし、生産的なことはする気分になれないし、馬鹿笑いするようなDVDやテレビなどはみたくない。 ショッピング中ふっと涙ぐみそうになったけど、「いま誰かが涙を浮かべていたとしても、その人がどうして悲しいのか、当たる可能性はゼロなんだよね」って思うと、妙に可笑しくなった。ある人にとって相当悲しいこと、辛いこと、もよそ様にとっては、些細なこと、つまらんこと、だったりするのだ。 たしかに・・・いくらわたしが心配したり、落ち込んだりしても、事態はなんにも変わらないもんね。それに一番複雑な思いでいるのは祐一郎さんご本人だと思う。もうしばらく停滞しているかと思いますが、 きっと来週頃には、「今後の楽しいもの見つけ」に精を出せるよう、前向きになれるような気もしす。 それに祐一郎さんにしたって、レミゼは無理としても、それ意外になんの活動もしない、と宣言されたわけじゃないし。 祐一郎さんはときには不遇なところもあるけれど、それをバネにプラスのエネルギーに変えて成功してきた人。神様に愛されている人。とっても強運な人。 きっと2013レミゼに出なかったことが、結果としては、別のチャンスが舞い込むことになる、という可能性も大いにある。 1つの道が消えて初めて別の道が見える、ということもあるのだ。 四季をあのタイミングで辞めたからこそ、バルジャンにもその他の役にも出会ったんだんだもんね。 私自身も、xxに失敗したおかげで、そのあと○○に入り、xxと出会った、ということはよくあった。一生懸命舞台のお仕事をして、人に愛をそそぎ、節制して清らかに生きている人を神様が応援しないわけがない。星よ!主よ!とわたしも祐一郎さんを神様が守ってくださるように祈ります。 それにしても・・・よみうりのあの笑顔のバルジャン写真を見るたびにどうしても泣けてきます。