♪祝!!無事千秋楽♪笑う男@帝劇 (2月19日)
本来の初日(3日)当日の開演が迫る時間に突然中止のアナウンス。そして仕切り直しの新「初日」10日は無事に開け、とうとうハラハラしながらも、19日の千秋楽を無事に迎えることができた「笑う男」(帝劇公演)。おめでとうございます!!!前半中止になり払い戻しになった公演にはとてもよい席があったので、かなり落ち込みましたが、後半取っていたとても良い席も含めた数公演はすべて観ることができ、ホッとしています。前方席のときは、やはり夢のような瞬間を味わうことができ、細かい観察もでき、至福のときでした。また2階席でも見る機会があり、1階席では味わえぬ、舞台装置の壮大さがよくわかり、とくに奈落からせりあがる装置のダイナミックさには、はっとしました。それにしても・・3日から、昨日にかけて、あまりにも緊張感に満ちた日々だったため(いつ中止になるかもわからないという恐怖、不安)今はちょっと脱力感でいっぱいで、手に力が入りません(泣)とにかくも、東宝演劇部の千秋楽カーテンコール動画を見ていただけばわかるように、本当にキャストの方たちにとっても、大変な日々であっただけに、東京公演が無事に楽を迎えられた感動は言葉にできないほどの大きな思いがあったことでしょう。とくに、大塚さんが、いろいろな思いがこみ上げて涙でいっぱいのご挨拶になってしまい、それを見た祐一郎さんは思わずハンカチを探し、きょろきょろ・・そして、挨拶を涙の中に終えた大塚さんを強く強くハグして・・(ここは、大塚さんもあまりにびっくりしたのか、思わず泣き笑いみたいになってしまいましたね)祐一郎さんらしく、もちまえの包容力・愛が思わずでてしまった、感動のカテコでした。また10日に再開した時点では、キャストのひとりがまだ参加できておらず、それも皆さん気がかりだった様子で、全員がそろったときの皆さんの喜びのツイートを沢山読み、このチームがいかに優しい人であふれ、団結力がすごいかを示してますね。そういうこともあり、後半は復帰した男女役の女性アンサンブルさんに大いに注目しました。欠けた人がいないこと。それはとても大事なこと。みんなの優しい思いが伝わってくるツイートがたくさんありました。笑う男、東京公演。後半つよく感じたこと。まずは全員の心、集中力がますます研ぎ澄まされて強くなり、どのシーンにも、たるみや淀みがなく、ぴしっとしていて、そこに美があり強さがあった。だから、悲しいラストであったとしても、どこかすがすがしさが残るのかな。独り残されてしまうウルシュスも、きっとヴィーナス、フィービーちゃんたちが強く励ましてくれるに違いないと!思えたりもしました。また、とくにグウィンプレン役の浦井さんは、ご自分でもあとから書かれてますが、声の出し方、飛び方、が、今までとは違って、すごくパワーにあふれるようになり、甘い声も持ち味なので、それは消すことなく活かしたまま、力強さが必要なシーンにおいては、より太く重量感のある発声で、その声が劇場に大きく響くようになり、デアがデヴィットに乱暴されそうになったあとの、ウルシュス(祐一郎さん)とのデュエットにおいても、そのパワフルさは大いに生かされ、とても力強く聴きごたえのあるデュエットにどんどん進化していきました。すごいことです!!浦井さんは、口の裂けた醜い男、という役ではありますが、口のメイクが軽めなため、そして浦井さんのピュアな内面が現れるためか、むしろ天使のように美しく、髪を切ったこともあり、少年のようなあどけなさが印象的で、ちっとも「醜く」ない。それでも、その「醜い」であろう顔が見えないデアに慕われるのとはまた違って、この顔を見ても目を背けないで自分を良いと言ってくれたジョシアナに、心が動き、違う世界にもいっときは入りかけるわけですが、それを真っ向から否定してデアと結婚しろと諭すウルシュスに対して、自分にも幸せになる権利はある!世界を変えられるかも、と対抗しますが、自分の中で革命というか、ウルシュスとのこの対決によって、芽生えたものがあって、それを育てていこう、自分の得た力で世界を変えていこう、という気持ちになっていく、その変化がわかりやすくなり、そのエネルギーが初演時より、倍増しているように感じました。なので、物語も力強く進んでいくように感じたのかも。またグウィンプレンの曲の中で、短調で始まり、途中で長調に転じる部分で、ポジティブな響きがより強くなるよう歌われるようになったように感じました。それが強い未来への希望に繋がるのかもしれません。一度喜ばせておいてからの衝撃、悲しみは深いですが、それでもデアと同じ世界に行くのだと決めたときの、グウィンプレン(浦井さん)とウルシュス(祐一郎さん)のアイコンタクト、これって初演もこんなにしっかりしてましたっけ?(記憶が遠い)ここ「レミゼ」のバリケードに最後にかけ上げって果てる前のアンジョルラスと仲間のアイコンタクトのようでじわっと来ます。そして、この時、3人の手がひとつになっていることに気づきました。そして・・テムズ川を経て明るい天上の世界で、やっと楽しく笑いあえているグインプレンとデアの二人。この時、デアの目はしっかりと光を取り戻し、焦点があった目でグインを見つめて微笑んでいます。ここもぐっとくるところです。そのシーンは上のほうで行われるため、「地上」で嘆き悲しむウルシュスの目には見えていませんが、「心の目」で見ているのでしょう。禅さんが楽のカテコで、この作品は2つのそうぞう力、(「想像力」と「創造力」)で見てください、とおっしゃったこと。響きます。「想像力」としては・・「怪物」「化け物」とはいったい誰か?本当の醜さとはなにか?同じ原作者の別の作品である「ノートルダムの鐘」にも通じる大きなテーマのことでもありますね。また、吉野さんの新!デヴィット・ムーア卿も、持ち味である皮肉めいた卑屈さを帯びている感じや、動きの機敏であることや、ちょっとした(刀を取り落とすシーンなど)間を生かした独特のエンタメ向けのセンスのある演技・・などなど、そしてソロにおいても、力強さを増し、毒気のある、素晴らしく黒く光る「嫌なやつ」であるデヴィットに進化していました。浦井さんとの殺陣シーンは、ほんとに見ごたえがあり、しかも可笑しさもあり、なかなか華のある見せ場になり、お見事でした。大塚さんのジョシアナ公爵は、前任者の朝夏さんとはほとばしるものの種類が全然違い、声がキュートなこともあって、上から目線的な圧はあまり感じられず、その代わりに、ひとりの人間、女性としての満たされぬつらさ、心の変化、弱さが後半とくに感じられ、とくに千秋楽においては、かなり感極まり涙を抑えつつのラストソロ。ここは、カーテンコールのご挨拶でも、やっぱりね、と感じたのですが、歌の段階で、すでに、ジョシアナとしてというよりも、人間大塚千弘として、この舞台にかける強い思い、愛、感謝いろいろな感情が沸いてきてしまって、ああいう歌になったのだなあ、と思います。ツイッタも拝見してますが、あのセクシーな役を脱ぎ捨てておうちに帰れば、幼子の母として、とてもお忙しい日々のようです。(旦那様が協力的で大きな支えになっていることも、素晴らしい!)そして、我れらの祐一郎さん演じる、見世物小屋の興行主ウルシュス。初日から調子はよかったですが、ますます役柄への一体感が増し、千秋楽では、今日も無事に幕を開けることができました!!のシーンでは客席の拍手が長く続き、ウルシュス=祐一郎さんも湧き上がる喜びを隠せない表情でしたね。ウルシュスは世界は残酷だ、貴族とは違う自分たちの運命には抗えない、と嘆き自分以外は敵だ!と説いたりと、悲観的なことを言いつつも、じつは非常に深い「情」をもつ男なのです。強くそして繊細なハートをもつ男。このハートのあるウルシュスがいたからこそ、他の登場人物たちの心がつながり、また強く生きていくエネルギーが生じたんだなあ、と思える、人間臭さもあり、表につよく出さずとも露見してしまう、人間愛と役柄への愛もあり、グインプレンを含む一座の人たちが寄せるウルシュスに向ける信頼と尊敬が、祐一郎さんご自身に対する皆さんの気持ちと一致しているように見え、座長の浦井君とともに、大きな柱として、ときには揶揄ったりしながらも、ばらばらになったり不安に駆られる可能性を秘めた多数の心を1つにまとめていた、そのようにも感じました。夏に見た「王家の紋章」のイムホテップ宰相は、若者たちの活躍や愛を、すこし離れた場所で見守っていればよかったことに対して、この「笑う男」では、子供の命を預かり、慈しみ育て、でも生活をしていかなくてはいけないから、口の裂けた「息子」を見世物として、仕立て上げる。親としての側面と興行主として側面を両方もちながら、一座をもまとめながら、前向きに生きている、いわば泥臭さもある役なので、ときおり表情には、バルジャンをふっと思い出してしまうこともありました。グインプレンは死んだとされて、ばさっと落とされるグインプレンの服をいとおしく抱きしめるシーンでは、レミゼの独白で、銀の食器の入ったカバンを抱きしめるシーンに重なってしまいました。この作品では、ウルシュスは直接愛の対象を抱きしめる代わりに、着ていたものをいとおしそうに抱きしめるシーンが目立ちます。最後に、天国にいってしまったデアの残したショールが、赤ん坊のデアをつつむおくるみになり、それを抱きしめつつ、その運命と悲しさをかみしめる、ウルシュスの表情はずっと目に焼き付きます。初演とくらべ、キャストの一人一人の心においても、舞台装置においても、そして作品へのみなさんの思いの強さにおいても、きっとすごい変化があったからこそ、見る側も初演のときより、強く揺さぶられたのでしょう。また、たとえば、最初の子供のグインが救った赤ちゃんデアに歌いかける子守唄は、後に、成長したグインプレンが垣間見る自分の人生において、誘拐されるまでに、両親から受けた愛を目の当たりにするわけですが、ここで、お母さんがゆりかごに眠るグインプレンに歌いかけるメロディーと同じもの。その愛のメロディーが幼子の脳内にインプットされていたのかもしれない、と想像してじーんとくるような、リフレインですね。やはりワイルドホーンの作曲のセンスは素晴らしい。音楽の打楽器を駆使するダイナミックな鳴り方もすごいし、オーケストラの方の技術も(とくに弦楽器!!)すばらしいですね。子役ちゃんに関しては3人とも観ることができて、ほんとによかったです。デアのお二人もそれぞれ、違う個性ですが、おふたりとも本当に儚く美しく、素晴らしく観る側は涙を抑えることが難しいと思います。3日に遠方から遠征してきていた友人も、しかたなく他の演目などを観てそのときは帰られましたが、今回は最後の数公演を観ることができて、ほんとによかった!!と祐友さんたちで喜び合いました。しかし!その友人もわたしもですが、「ラマンチャの男」の中止(しかも2度にわたり・・)により、チケットが紙切れに・・・それこそ泣き笑いの日々です。ラマンチャは松本白鸚さんのファイナル公演のはずでしたが、これでは満足に送りだせる態勢とはほど遠いので、こればかりはファイナル撤回して、来年仕切りなおしてくれないでしょうか?さて、大阪、福岡と、3月に「笑う男」の旅公演がありますが、どうか無事に大楽までつづきますように・・・と心からお祈り申し上げます。