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自分の中に信念がない人はきまって、
恥ずかしい言動をいけしゃあしゃあととる。 たとえば後輩の育成とかにおいて。 その後輩が、何か責任ある仕事を持ったとする。 自分が代わりにやってしまえば早いのは百も承知だけど、 本来自分が手を出してはいけない立場。 ここに踏み込むというのは、「後輩を育成する」という観点から見たら、 基本、タブーなわけですよ。 「そこにある仕事」は、 企業人として、 たしかに完了させなければならない。 しかし「後輩の育成」という大前提・大目的を見失い、 「その仕事を完了すること」のみを目的にしてしまったら、 そこ「タブー」に踏み込んじゃうんですよ。 しかも、そういう人に限って、 「企業人として、この仕事を完了させなければならない」と大義名分を掲げ、 「後輩育成」という最も困難で、最も貴い、最も大切な目的を いとも簡単に切り捨てる。 さらに、いけしゃあしゃあとしている。 「あいつがやるのを待ってたら、時間がかかるから。」 他人を動かすのはたいへんです。 そんなん百も承知。 だからこそ貴いねん。 で、そこで他人を動かすより自分がやったが早いと言い放つのって、 本来はめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ恥ずかしいことだと 私はそう思うんですよ!!!!!!!!!! でも、それが恥ずかしいと思わないんでしょうね。 自分には力がないと表明しているのと、一緒なんですけどね。 また、部下がずっと温め続けてきていたものを、 その作業プロセスも見ていて、 想いも直接聞いていて、 やっと結実したと思ったら、 他部署がゴッソリ「これは彼女の本来の業務からずれてる」と持っていくことになった時。 スタート時、または、形になる前の途中途中、 軌道修正を加えたり、本来のルールを投げかける機会はたくさんあったはずなんです。 それをアンタ、他部署の人が「本来こうだよ」って言ったからって、 それをそのまま鵜呑みにして 部下に成果を出せないことをまんま受け入れるってどうなのよ。 部下を抱える身として 「本来のルールを知らないこと」、 「途中軌道修正するチャンスがありながら見落としていたこと」等、 恥ずかしすぎませんか? 「ずっと想いを語り続け、動き続ける部下の姿」を見ていながら 「本来のルール」という大義名分の下、切り捨てるって、恥ずかしくね? しかも、自分が食い止めるチャンスがあるにも関わらず、詫びない。 いろんな穴があるのに、そこを指摘して戦う気も、もちろんない。 恥ずかしいと思わないから、 自分には一切責任がないと思いこんでるからから、 できるんだよね。 公約だかマニフェストだか、 耳あたりのいいことばっかり言って票を集めておきながら 「我々は野党だから、政策実現できないんだ!」と いけしゃあしゃあ、責任放棄していることを公言し、恥入らない人みたいよ☆ …なあんてことを 語って長電話するので 最近寝不足気味です。 ビジネスにおける人間関係も、 社内における人間関係も、 プライベートの友人間の人間関係も、 夫婦・恋人における人間関係も、 親子関係も、 政治も、文化も教育も、人の営みである以上、突き詰めていくと大切なものは同じだったりするんだよねーとか、 大切なものを押さえた結果、はずした結果は歴史に如実に現れてる、とか、語っちゃうの、語っちゃうのよ、アタシタチ! ウザッ。 まあそんなわけで、 どんなわけだか、 友人と語らいながら、また日々生活しながら、 恥の意識がない人と信念がない人はイコールかもしれない、 大切な何かを切り捨てながら小さい自分を守るばかりなのかもしれない、 なんてことを感じる今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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