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中学生の時分。
大人ぶりたかった私は、 好きな漫画家やティーン小説作家など 憧れの大人への手紙には カッコよい文章を書きたいと 国語辞典をめちゃくちゃ活用していた時期があった。 おそらくその頃から「言葉」への興味は強かったのであろう。 故事成語のバックグラウンドや ことわざ、四字熟語、同音異議語などは、 それなりに自分から進んで学び、 言葉への興味関心は無駄に高まり、 やがては高校時代に戯曲のわけわからんちんな世界に魅了され、 妙に小気味のいい語調で語り、オチはあるけど中身はない、 そんな今の私の語りがあるわけである。 一見無駄を多く重ねた半生だけど、 時がたち、振り返ってみると、 昔無駄に思われていたものでも、 意外に血肉になっていたりするものだ。 が 私は昨晩、いかに自分が観念の世界でのみ 快楽に浸っていたかがわかった。 私の言葉は、語彙が矮小であるばかりか、 観念の遊戯でしかなかったのである。 「寝耳に水」 昨晩、神々の遊びは、 酒が飲めずにソファで眠っている私に 若干、三岳の香りがする、氷水を頭から浴びせるというものだった。 私はこれまでよりも、 よりリアルに「寝耳に水」を使うことができるようになった。 あの驚きと言ったら、尋常ではない。 驚きと同時に、 安眠を妨害されたことによる、何に向けてよいかわからない憎悪と憤怒。 あんなにも、一瞬で沸き立つ 衝動的な負の感情をもって目覚めるなんてのは 後にも先にもないだろう。 そんな、ドロドロな南の夜明け。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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