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オードリーの若林くんが好きです。
春日はキャラが立ってるけど、 私は若林くんのが好きです。 ツッコミなのに、慈愛に満ち溢れてるんですよね。 あれは、台本にして文字で読んでも、 伝わらないと思う。 表情とか声色とかって、 文字にしたら伝わらない。 伝わらないどころか、読み手が受けた印象がすべてになる。 人は言語化していないところにも、 気持ちや感情がにじみ出る。 ノンバーバル! ノンバーバル! ノンバーバル・コミュニケーション! ノンバーバル・コミュニケーション、大切。 閑話休題。 若林くんって、 どれだけキビシいツッコミを入れていたとしても、 なんか、いつも、春日に対しての愛情が満ち溢れてるような そんな感じを受けるんですよね。 たとえ相手(ここでは春日)がどうあれ、 受け入れますよ、的な。 …なんかこんなこと書いていると、 とても愛情に飢えている人みたいな仕上がりなんですが、そうではなく。 まあもちろん、相手に自分を受け入れてほしいという欲求はありますが、 私の場合、 たとえ相手がどうであれ、 私は他人を受け入れられる自分でありたいと、 そう、今、目指しているのですよ。 極端な話、相手が私のことを受け入れなくても、 私は相手を受け入れる、みたいな。 「この人は、私を受け入れるつもりがないんだ」 と感じても、 「この人は私のことを、今は、受け入れるつもりがないんだ」 と、「今」のあるがままの状態を受け止めたいというか。 現状を受け止めないと、現実から逃げちゃう。 相手から逃げちゃう。 もちろん自分を拒絶している人間を受け入れるのは、難しいし、しんどい。 でも、それをやっていかないと… 自分と合わない人間を切り捨てていったら、 最後には孤独になる。 自分が自分を孤独にしてるんですよっ。 伝えても伝えても伝わらないときに、 めげて、心が折れそうになって、 「もう、知らん!無理!」 と切り捨てそうになることも多々あるのですが、 「いつかは…」とどれだけ自分を鼓舞できるか。 いったん投げ出したものを、 変なプライドにとらわれず拾い上げられるか。 相手が変わることを信じていけるか。 自分が変われば相手も変わる。 これは真実です。 でもそれは、変える自分は、今使っている手段を変えるのであって、 相手に伝えたい目的を変えるのではない。 目指す先を変えてはいけないのです。 自分がブレてはいけないのです。 日々、弱い自分と葛藤です。 オードリーの若林くんは、 たとえ春日がどれだけ荒唐無稽なことをしても、 最終的に受け入れている。 そこには、私の理想の形が、あるのです。 人を切り捨てるのは 鋭利な刃物でスパっといく感じですが、 人を受け入れていくのは ふかふかのふとんでくるんでいくような、 まあるい感じがします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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