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カテゴリ:God is...
Love. 神は、、、愛です。 ところで、愛って何ですか? と聞かれたら、あなたならどう答えますか? 簡単なようで、とっても深い質問です。 聖書はこう答えています。 愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、 すべてを信じ、 すべてを期待し、 すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。 新約聖書 第一コリント 13:4-8 この『愛』の部分を『神』として読むと 「神は愛です。」という意味が 分かりやすくなるのではないでしょうか。 愛とは、『優しさ』という印象が強いですが、 『優しさ』だけが愛ではありません。 本物の愛には『厳しさ』がともないます。 愛であられる神様も、同じです。 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛するものを懲らしめ、 受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめをうけていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父(=創造主)に服従して生きるべきではないでしょうか。 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父(=創造主)は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 新約聖書 ヘブル人への手紙 12:5-11 さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい、とあるのは、そのためですね。(ヤコブ1:2) さらに愛であられる神様が、 その大きな愛を私達に示してくださいました。 わたしたちがまだ罪人であったとき、 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、 神はわたしたちに対する愛を示されました。 新約聖書 ローマ人への手紙 5:8 神様はいつから私を愛されていたのでしょうか。 それはこの世のはじまる前から と聖書にはありますが、(エペソ1:4-5) もっと分かりやすく言うと、私が不信仰であり、 不従順であり、神の敵であったころからです。 私がまじめに教会に行き、人を愛し、 良い行いを心がけ、祈り、 聖書を毎日読むようになってから 私のことを神が愛されるようになったのではありません。 私がまだ神の教えに背き、 神の存在を信じず、自分の望むままに生きていた時。 そんな時から神は私を愛しておられたのです。 それは、あなたに対しても同じことです。 人と神との関係を和解するためには 人の罪に対する解決が必要でした。 人を神ご自身とひとつにするため(エペソ2:11-18) イエスさまが十字架の上で私たちの咎を すべて身代わりに引き受け、背負ってくださいました。 その人と神との和解の道を 主が恵みによって、イエスさまの十字架の死を通して、 私たちに一方的に用意してくださったのですが、 「あなたがいい子だから身代わりに死んであげよう」 とか、 「あなたが信仰熱心になったから死んであげよう。」 ではなく、 わたしたちがまだ罪人であったとき イエス様は十字架にかかって 私たちの罪の罰をすべてその身に負って 死んでくださいました。 そこに測り知れない主の大きな愛があるのです。 この辺はすごく宗教チックだし、 意味がさーっぱり分からないかもしれません。 私にとっても難しくて、理解に何年もかかりました。 だけど、神様に「あなたの愛を教えてください。」 と心でそっとお願いすると、きっと主が あなたの心に分かりやすく啓示してくださいますよ。 神様は、あなたにも、 その「愛」に気付いて欲しいと願われていますから。 あなたの体の死によって完全に神の愛から離れる前に、 どうぞ、主の愛を今、受け取ることが出来ますように。 詳しくは、こちらもご参照くださいね☆(*^-^*)/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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