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カテゴリ:日記:アメリカ
自称哲学者の友達に 「Norikoは思い込みだけで判断することが多い。」 と昔、指摘を受けたことがあります。 この癖、なかなか直りませんねー。 日本人の会話はストレートじゃないので 『相手の心を読むトレーニング』をされてきたと思います。 それに、私も大きく影響されています。 「この人は、こういう人だろうな」 「この人今、こう考えてるんだろうな。」 と分かっているつもりでいる。 でも実際はどうか。 この人は○○。この人は××。 『ほんと』を知る前に、決めつけてしまう。 アメリカンの友達に気を付けろと言われてから、 私の判断や決断はassumptionから来ていないか 出来る限り確認するようにしています。 もちろん人を完全に理解することはできないけど 「○○だろうな」と、勝手に『思い込む』のでなく、 「○○って、どうなの?どう考えているの?」 って、できるだけコミュニケーションをとるように 努力しています。 分かっていると思い込んでいるものが 真実でなかったり、実は分かっていない。 実は理解できていない、ってことがあるから。 絶対にこれはこう→ と思っても実はこうだったり→ でも、本当の本当はこうで→ でもこうだって思い込んでる→ 真実を真実のまま受け止めて 理解することは至難の業です。 私はあるテストを先週受けて、 成績がものすごく良いだろうと思っていた。 テストの内容も、授業の内容も、 自分は「分かっている。理解できている。」 とかなりの自信を持っていたから。 でも、昨日テストの結果を見て腰が抜けた。 とても悪い成績でした。 「あー、今回は出来が悪かったなー! 勉強不足だったなー!」 だったらまだいいのです。 「よく出来た。」と思っていて、 自分は理解していると思っていたことが 実はまったく理解していなかった。 これは一番凹みます。 自分のunderstandingを理解できていない。 じゃぁ、いま私が知っていると思っているもの、 私は本当に理解できているのだろうか。 実は全然理解できていないんじゃないかな。 と、不安がよぎるわけです。 この恐怖、分かりますか? でもそう落ち込んでいる時間もないので shake it offして また新しい一日を迎えるのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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