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カテゴリ:日記:アメリカ
先日神学校の友達に言われた一言。 「Norikoって、お金持ちなんだね。」 ほよよ?? 「私が?私?どうしてそう思ったの? ちょー貧乏だよ。」 「見たら分かるよ。」 ってことで、自分を見てみた。 なるほどぉーーーーー これじゃぁー、勘違いされるのも当然です。 でも自分の中では過去だったので、 何も意識していなかったんです。 私の持ち物をチェックしてみると。。。 時計ブルガリ 財布ルイ・ヴィトン カバンシャネル。。。。。。 こんな格好で神学校に通っていた!!! 私は生まれも育ちも、神戸。 神戸っ子と言えば、、、 それは、ファッションです!!! そして、すごくオシャレな母に育てられました。 クリスチャンになる前、 私はバリバリの神戸っ子でした。 ので、ブランドもんはかなり若い頃から 買っておりました。 バイトのお金はほとんどブランド品に費やし、 髪の毛や、服やそのようなものに 財産をつぎ込んでいた「時代」があったのです。 で、クリスチャンになった後、 そういうのが嫌いになったのではなく、 執着しなくなったので、特に買わなくなりました。 でも、やはり良いものは長持ちするので、 今でも愛用しているという感じです。 今もっているものも10年以上使っています。 だから、クリスチャンになる前の なごりです♪ 昨日はジムに行く服装で学校に行ったら 「Norikoがカジュアルなの2度目。」 って言われた。 「え?えーっと、 私いつもカジュアルにしてるんですけど。。。」 でも彼女には、私はいつもドレスアップしてるらしい。 ブランドがどうのとかいうより、 私はいつまでも、可能な限り、 きれいなクリスチャンでいたいです。 サラも、Esterも、聖書に出てくる女性、 けっこう綺麗な人が多い。 彼らは、生まれつき美人というのもあるけど、 きっと、綺麗にしていたんだと思う。 もちろん聖書には、 麗しさはいつわり。美しさはむなしい。 (旧約聖書 箴言 31:30) あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。 むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。 (新約聖書 1ペテロ 3:3-4) と書かれてあるので、外見じゃなく、 内面的な美しさは神様にとって重要。 だけど、両方美しいと、なおいい!! というか、神様にいただいたプレゼント、 「体」を綺麗に保つ、 「女性」でいることを楽しむ。 両方磨くことはいいことじゃないかなぁと、 思っております。 ~馨子さんからのコメント~ 私も、Norikoさんの意見に賛成です。 自分ができる範囲で、背伸びしないで、 美しくあるということは 大切だと思いますよ。 仰るように、エステルだって、王様の心を捉えたのは やはり天性の美しさと心の美しさに加えて、 女性としての美もちゃんと適度に磨いていたからだと思いますもの。 だから、自分を失うほどに美容や装飾に溺れるのは間違いでしょうが それ以外は、私は賛成です。 いつも心の向かっているところが、God First! なら大丈夫ですよ。 ~馨子さん~ 馨子さんに賛成していただけるとなんだか安心しちゃいます♪(^^) エステルは代表ですよね。彼女は一年くらい磨いてましたっけ? あとルツも、自分からプロポーズしに行くとき そうとう頑張っていたと思います。香油もつけて。。。 美しすぎると相手をintimidateしてしまう場合があるし、 国柄的にもきれいにできない立地があると思います。 でも、自分に与えられている出来る範囲で どこででも自分を磨くことは可能だと思います。 手抜きをすることがクリスチャンの女性、 オシャレはungodly。。。は反対派です。 馨子さんのおっしゃるとおり、背伸びするのではなく、 神様から『与えられた美』でもって、 輝き続けていたいですね♪♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.11 10:38:12
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