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カテゴリ:日記:アメリカ
昨日、教会で牧師先生からあるビジネスのお話を聞きました。 ペンを作る工場のお話でした。 工場には10人の作業員がいたそうです。 はじめに、10人、個人個人に 最初から最後まで、1本のペンを作らせたそうです。 そうすると、一日に200本が完成しました。 今度は、作業を分けました。 一人は最初の部分、一人は芯の部分、 一人はキャップの部分。。。 そうすると、同じ人数で、 一日に48000本も出来たそうです。 一人ですべてをやろうとするよりも、 チームワークが大切だと学びました。 そして、どの役割も大切だということ。 一つの役割が欠けては、ペンが完成しない。 あなたがいないと完成しないものがある。 あなたは、なくてはならない大切な存在なのです。 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。 しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。 新約聖書 コリント人への手紙 第一 12:12-27 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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