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カテゴリ:日記:アメリカ
私たちは全員、救いを必要としています。 しかし、「自分」というものを知らずしては、 『救いの必要性』に気付くことは出来ません。 聖書は、人はみな、罪人であると教えています。 人とは?自分とは?罪とは? 聖書はなんと言っているのでしょうか。 簡単な説明はこちら←をご覧下さい。 では救いとは、どのようにもたらされるのでしょうか。 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。 新約聖書 テトス 2:5、7 ここで注目すべきところは、 わたしたちが行った義の業によってではなく、 神様のあわれみによって、というところです。 良い行いや、自分の努力で救われるのではなく、 自分の力や才能、お金、知恵、人に対する優しさで 救われるのでもありません。 救いとは、神様からの一方的なあわれみによって、 わたしたちに与えられました。 与えられた救いへの道、それは、イエス・キリストです。 キリストは、全人類の罪を背負って 人の身代わりになって十字架で死なれました。 そして、3日後、 死から復活し、よみがえられました。 死と罪を討ち滅ぼすために死なれ、 義をもたらすために死から復活されたのです。 すべては、わたしたちを生かすため、救うために。 わたしたちの罪をキリストが受け取り、 わたしたちは、キリストの義を受け取ります。 義=神の前に正しくされるのは、 努力や行いや自分に何が出来るか、 自分がどれだけ優秀でいい人間か、ではなく、 キリストが成し遂げてくださった業によるのです。 神様からの、プレゼントなのです。 わたしたちは、キリストへの信仰によって、 地獄行きを逃れ、天国への切符、 永遠のいのちをいただくことができるのです。 罪の支払う報酬は死である。 しかし神の賜物は、わたしたちの主 キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。 新約聖書 ローマ人への手紙 6:23 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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