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カテゴリ:日記:アメリカ
C.S.ルイスが書いた本、Four Lovesによると、 愛を4つに分けることが出来る。 1、family affection (storge)/家族愛 2、friendship (philia)/友情愛 3、erotic love (eros)/性愛?エロスです。 4、charity or divine love (agape)/神の愛 神の愛は、私たち人間には理解しきれないほど大きな、完璧なる愛です。ので、神の完璧な愛をもって人は人を愛することが出来ません。罪のゆえに、完璧には愛せないのです。家族愛やエロスは説明は要らないと思います。では、この世で最高の愛のステータスとは。。。といいますと、エロスか、家族愛かと思いきや、ルイス氏の意見によりますと、友情愛が一番高いステータスだそうです。 普通、かっこいい人、何かに長けている人、 お金持ち、こちらに利益を与えてくれる人、 そういう人と友達になりたいとかって 世間一般では、考えてしまいますよね。 ♪世の中かっこつけてて それよりかっこよくなきゃいけない もし飛び出るんだったら♪ って歌ありますけど、友達つくるには 受け入れられるには、 かっこよくなきゃ!みたいな。 では、イエスさまは、 どんな人たちとお友達になられたのでしょうか。 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 マタイ 9:10-13 収税人は、当時嫌われ者でした。 ずるをして、貧しい者からお金を奪い取ったり していたからです。 人々から白い目で見られ、 避けられている人。嫌われている人。 弱い人。 そのような人たちをイエスは愛し、 友達になり、彼らと食事を共にしました。 「こんな人と友達だと思われたくない」 そう人の心で思ってしまうような人を 主は受け入れ、自分の時間を彼らに 喜んで捧げられました。 一般的な目から見たらキリストはルーザーです。 ハリウッド俳優みたいなかっこいい友達。 そんな友達の数を競う。 そういうのは一切なく、 苦しみの中にある人のそばに喜んでいて 「わたしはあなたの友です。」 と、彼らを愛し、慰め、励ましたのです。 He was a friend of "sinners." Fellowship in suffering... ダビデも、死の谷間を歩く苦しみの中で 主との信頼関係を再確認しました。(詩篇23) 人生乗ってるときの友情は簡単です。 自分が失敗したり、苦しんだり、 嫌われたり、社会からのけ者にされたり。。。 問題のある人からは、人は離れるかもしれません。 ずばり、そこで本物かどうか分かります。 イエスは、 苦しみの中にある人たちを避けるどころか、 友となり、食事を共にしたのです。 なぜなら、神(キリスト)は、愛だからです。 He is a friend of broken spirits. ハレルヤ!なんという素晴らしい主でしょう! 世の中は、ルーザーとキリストを指差すかもしれない。 だけど、私は、 だれも聞いてくれない、誰も相手にしてくれない 泥まみれになって地面にはいつく盲目の男のために 自分の足を止め、振り返り、手を伸ばし、 哀れまれ、励まし、癒されたキリストを 神の子としてあがめます。 主よ、あなたは素晴らしすぎます!! 世の神々は、人に仕えられなければならない。 しかし、神であられるキリストが来たのは、 仕えられるためではなく、 かえって仕えるためであり(マタイ 20:28) 救うため、愛するために来られたのです。 そして、私たちを友と呼んでくださる。 苦しみの中から逃げないのは、 主が先にある完全なる喜びを知っているからです。 主が希望に満ちている証拠です。 私たちがひとりぼっちと感じるとき、 だれも、友達になんかなってくれない そう寂しく感じるとき、 イエス様は絶対友でいてくださいます。 愛してくださいます。 彼が愛と希望と喜びとに満ちているからです。 キリストがそれらを与えることが出来る、 唯一のお方だからです。 Thank you for calling me your friend. I love u, Jesus, because You first loved me and chose me. わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(キリストは私たちの罪の罰を身代わりに払うため、十字架で死んでくださいました。)わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 ヨハネ福 15:12-15 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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