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2009.03.08
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テレビなどの報道で
お葬式などがあると喪主がいらしたり
その他、参列される方々の様子が出てくる。
彼らが泣かなかいで、しっかりしていると、
こう評価される。


『気丈だ。』


そう。感情を表に出さないこと。
これは、日本の国では高く評価される。
「気丈にふるまった」、「強い」、「大人だ」と、
尊敬の念を抱かれる。


Emotionless = Maturity ??
What do you think?


昔のこんな話もある。


あるお侍さんがあぐらを組んで
つまよう枝を口にくわえて
「せっしゃは、たった今食事をして満腹。」
という風に外から見れば見えるのであるが、
実際の彼は、何日も食事をしておらず、腹ペコ。


自分の「まことの内」や「弱さ」を見せることは
ご法度であった。


お葬式の場面に話は戻るが、
これは、日本人の良い部分でもあるのかもしれない。
「泣いてしまっては周りをも悲しませる。」
「心の内を打ち明けては
 聞く方の迷惑になってしまう。。。」
そういう相手を思いやる気持ちから
気丈にふるまうということもあるであろう。


しかし、そこに隠れる
「ひとりで頑張る」という
寂しい文化を生み出してしまっている現状。


それは、表面的には「相手への思いやりの一種」に見え、
またそう感情を表に出さない者
成熟した強い者と捉えられ、良しとされる。


悲しい時にも強いように見せる。
揺れる時にも気丈に振舞う。
なんなら、感情を殺してしまって
何も感じられないようにしてしまう。


もし感情を見せない=心の成熟
であるのであれば、時に
イエス・キリストは心も霊的にも未熟であった
という結論になる。


しかし、そうではない。


心の成熟度、霊的成熟度を計る「ものさし」


相手を判断する、また自分の成熟度を判断する
その「ものさし」は、日本文化によって
ゆがんだものとなっていないだろうか。
聖書的であるだろうか。


イエス・キリストは、友人のお葬式に参列した時、
泣いた。


キリストは、心にある悲しみを隠さなかった。
そして、「神の子」「救い主」
という周りの目があるのにもかかわらず、
みなの前で、泣いた。



エルサレムの宮に行った時
聖なる場所が商売の場所と化し
汚れているのを見て、キリストは何をしたか。
叫び、怒って、テーブルをひっくり返した。


キリストは、激しかった。
自分の怒り、感情を隠さなかった。


また、十字架にかかる前夜。
死を目前にした前夜、キリストはどうだっただろうか。


キリストの名のゆえに、歴史上
勇敢に死んでいった殉教者たちがたくさんいる。
私からしたら彼らはヒーローあるが、
われらのまことのヒーロー、イエス・キリストは
そのように「強く」「気丈に」「勇敢に」
死を迎えたのであろうか。


見てみよう。
これは、キリストの死の前夜の様子である。


それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。

ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた

そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

新約聖書 マタイの福音書 26:36-39



キリストのここでの苦しみ様をルカはこう語る。


イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。

新約聖書 ルカの福音書 22:44



どうして主は、
自分の悲しみ、怒り、弱さ、寂しさを
隠さなかったのだろうか。


「自分のために起きていてくれ。」
自分の愛する弟子にそう語ったイエス。
どれだけ寂しく苦しかっただろうと思う。


なぜそのことを隠さず、
気丈で強い救い主の姿を残さず、
世界のベストセラーの聖書に
わたしは死ぬばかりに悲しい
というキリストの言葉、その姿を
神は残されたのだろうか。


ここから学べることは山のようにある。
書ききれない。


ただ私がここから感じるのは
なぐさめである。


あるクリスチャンが死ぬ時、
「死ぬのが恐いよ。。。悲しいよ。。。」
といえば、どう判断されるか。
「信仰が小さいな。」
と思われてしまうことがあるのではないか。


私が死ぬ時、
もし私が勇敢ではなく泣き叫んだら
みなはどう思うだろうか。


そんなとき、私は慰められる。
主は、死の悲しみから血のような汗を流し、
心が揺れて不安で悲しみに満ち満ちた。


それが、現実、リアルなのではなかろうか。


キリストのように、
ウソなく、偽りなく生きるのであれば、
私たちもあのように生きるのではなかろうか。


信仰が弱いという評価を死のベットで受けるとき、
私の主はわたしと共にいて、言ってくれるだろう。
「わかる。私もその苦しみを味わったのだ。  
 私がそばにいるから。私が共にいる。」


"Noriko, I understand... I know..."


主は弱い者を責めるのではなく
慰めてくださる。


私がお葬式で
「天国に行くんだからハレルヤ!」と言わず、
泣き崩れたら、信仰の弱い者と言われるだろうか。


そんなとき、私は慰められる。
私の主はわたしと共にいて、言ってくれるだろう。
「わかる。私もその悲しみを味わい、泣いた。」


ルカはまたこう語った。


すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

新約聖書 ルカの福音書 22:43



イエスは、完全に自分を御父に委ねている。
完全に、御父に明け渡している。
自分の力、がんばりに全く頼っていない。
主は、主が崩れたとしても、
御父が支えてくださると知っていたから。
それに、御父は天使を送って
主を励ましてくださった。


私たちもどんな苦しみや悲しみの時も
同じではなかろうか。
そのままの自分で主に両手を広げて
委ねることが出来る。


死をも受け止めてくださる主。
強くなることがゴールではなく、
自分の弱さの中で
主が強さとなってくださる。


キリストは、弟子の二人だけを選ばれた。
究極の苦しみを分かち合ったのは二人。
自分の弱さを見せる知恵がここにもある。


人が、ひとりでいるのは良くない。

旧約聖書 創世記 2:18



そう語られた主。
人がひとりでいるのは良くない。


互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。

新約聖書 ガラテヤ人への手紙 6:2



喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

新約聖書 ローマ人への手紙 12:15



主は語られた。
お互いの重荷を背負い合いなさいって。
泣く人と共に泣きなさいって。


教会はそのために主が用意してくださった。


お互いの重荷を担い合って、みなで支え合って、
共にすばらしい主を賛美するために。


人は一人では生きていけないと
主はご存知だから。。。


そして、なにより、、、


私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

新約聖書 ヘブル人への手紙 4:15



私たちのために貧しくなり、
弱くなってくださった主、イエス・キリスト。


それは私たちの慰めとなる。


そして、主が感情を包み隠さず、
「気丈に」「強く」「たくましく」
いつも振舞わず、透明に心を現し、
御父に死にまで従われたのは、
こういう理由からです。


イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」

新約聖書 ヨハネの福音書 18:36



主の教え、主の国がこの世のものであれば
この世の教えるリーダーシップに沿ったような
そんなかっこいい勇ましい姿を見せていたことでしょう。
でも、違うのです。


すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。(キリストの)力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

2コリント 12:9



感情や弱さを表現しないのが成熟ではなくて
弱さを誇る。
このパウロの言葉に本物の成熟した姿が見えるなぁと
そう思いました。


神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。

2コリント 1:4-6







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Last updated  2009.03.08 12:09:33
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