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カテゴリ:日記:アメリカ
自分の力のなさは明らかで、限界がある。 自分に目を向ければ希望はない。 そんなとき、もう一度、 主の力を覚えたい。 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 キリストの言葉 新約聖書 マルコの福音書 11:23-24 私たちの信仰が山を動かすのではなく 私たちの信仰の基である 聖書の教える創造主なる神に 山を動かす力があるのです。 自分に向かって自分で「動かせる!」と信じたり 石に向かって「動かせる!」と石に信仰をおいたり お札に向かって自分のいうとおりになる!! と願をかける。。。という意味ではありません。 山を動かすことの出来る 主を信じる。 主を信じる者は 山をも動かすことが出来る。 それは、なぜか。 その人の信仰の基であるキリストには 山を動かすことが可能だからです。 全能なる主。 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」 マルコの福音書 10:27 山を動かすことの出来る主。 主は、私たちの人生の中にある山をも 動かしてくださる。 人生の山とは、 孤独、苦しみ、葛藤、傷、悲しみ、 挫折、不安、あらゆる問題、失望。。。 これらの山をも 主は動かしてくださいます。 そして、愛、希望、平安などを 変わりに与えてくださいます。 主は信仰を喜ばれます。 そして、信じる心に答えてくださいます。 なぜなら、主の栄光が 主が答えてくださることによって現れるからです。 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」 マルコの福音書 10:27 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」 ヨハネの福音書 11:40 主の力をもう一度覚えたい。 主の力を覚えることによって また心に力と希望が与えられる。 もし祈っても山が動かなかったら。。。? 1、まだ神の時ではない。 2、主が何かこのことを通して教えようとしている。 その影には必ず目的がある。 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 ローマ人への手紙 5:1-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 新約聖書 ヤコブの手紙 1:2-4 3、その山を通して、同じ山を体験する兄弟姉妹を心から理解し、助けることができる。 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 新約聖書 コリント人への手紙 第二 1:3-4 The LORD your God is with you. He is mighty to save! Zephaniah 3:17 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.16 06:22:59
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