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カテゴリ:神様のこと 聖書のこと
イエス・キリストは、無罪とされながらもなぜ殺されなければならなかったのか。 理由 その 1 ← クリック 理由その2は、キリストが「自分を神とした」ためです。 イエス・キリストは、人間であり、 また神でもあられました。 これはとても大切な聖書の教えです。 クリスチャンは、 イエス・キリストを神として信じています。 キリストの神性を否定すれば、 それはキリスト教ではなく、異端です。 「キリスト教」や「イエス・キリスト」や「教会」という名を使って、キリスト教とは異なる曲がった教え、情報がこの世に出回っていますから、気をつけてくださいね。 キリストは、人であり、また神であられました。 このことを、聖書から見てみましょう。 御子(イエス・キリスト)は、 見えない神の姿であり、 すべてのものが造られる前に生まれた方です。 天にあるものも地にあるものも、 見えるものも見えないものも、 王座も主権も、支配も権威も、 万物は御子において造られたからです。 つまり、万物は御子によって、 御子のために造られました。 御子はすべてのものよりも先におられ、 すべてのものは御子によって支えられています。 新約聖書 コロサイ人への手紙 1:15-17 ここでは、キリストのDeity(神性) が書かれています。 上のコロサイ人への手紙にある キリストは・・・ 1、見えない神の姿。 キリスト教(聖書)の啓示する神は、御父、御子、御霊が唯一の神です。このことを「三位一体」と神学の世界では呼んでいます。 「三位一体」という言葉は、神学者たちが聖書を組織的に理解するために生み出した言葉であり、実際に聖書の中には出てきませんが、そのアイデアは出てきます。 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもと(天国)に行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 新約聖書 ヨハネの福音書 14:6-9 御子を見たものは、天の父なる神を見たと同じ。見えない神の姿がキリストによって現されたのは、神が人となってくださったからです。 それは、何のために? その答えは、 次回の理由3でご説明させていただきます。 私と父とはひとつです。 新約聖書 ヨハネの福音書 10:30 ひとつゆえに、キリストを見た者は、天の御父を見たのと同じなのです。 聖書に書かれているキリストを見ると、神がどのような方なのか、どれだけ恵み深い方なのかを知ることができます。 2、この世のすべてのものが造られる前から存在した。 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 旧約聖書 創世記 1:26-27 この世のはじめに主が人を造られたとき、神は、「われわれに」似るように、「われわれの」かたちに人を造ろうとおっしゃられました。ここの「われわれに」とは、ヘブライ語の原語でElohimです。 Elohimは「神」の複数形。ここで、神ご自身を「自分に」という単数形ではなく、「われわれに」とご自身を語られるのに複数形を選ばれたのは、御父、御子、御霊が、この世の始まる前からすでに存在していたからです。 [このように、聖書は一箇所や、一部分だけを指して「ほら!こう書いてある!」とその箇所だけからのつまみ食い的な解釈するのではなく、聖書全体から見て、各部分を解釈していく必要があります。] わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。 新約聖書 ヨハネの福音書 イエスさまはまた、天から下ってこの世に降りて来られた、とあります。 ここからも、キリストは、この世に誕生する前から天において御父と共に存在していたことが分かります。 そして、御父によって天からこの世に目的を持って送られました。そして、天の御父に送られてこの世に約2000年前にベツレヘムという小さな町に誕生しました。それは、御父のご計画を成就するためでした。御父のみこころは、理由3の中でもっとご説明させていただきます。 3、すべてを造られた。 はじめに、神は天地を創造された。 旧約聖書 創世記 1:1 と聖書に書かれています。 詳しくは、HomeのFreepageにある 天地創造をご覧ください。 それでは、キリストの弟子たちは、 イエスさまのことを何と言っていたのでしょうか。 キリストと共に生活し、キリストを信じていた弟子たち。 自分の仕事を捨て、人生をキリストに捧げた。 そんな彼らはキリストを何と呼んでいたのでしょうか。 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 シモン・ペテロ(キリストの十二弟子の一人)が答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 新約聖書 マタイによる福音書 16:15-17 トマス(キリストの十二弟子の中の一人)は答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」 新約聖書 ヨハネの福音書 20:28 弟子達は、キリストを神と口で告白し、 信じていました。 キリスト誕生数百年前に書かれていた 旧約聖書の預言書の中に 後に救い主が来ることが書かれてあったのは、 この私についてであると、 キリストが教えていたからです。 そして弟子達は、生活を共にする上で 数々の奇跡を見たり、教えを聞いたりして、 「私の主、私の神」と 弟子達は信じるようになったのです。 キリストを神と認めない者は??? イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからであ る。 新約聖書 ヨハネの福音書 5:18 キリストがご自身のことを神と同等化することを 強く批判しました。 「自分を神とするとは、神を冒涜する者!」 「十字架にかけろ!」となったのです。 キリストが、もしこれらのユダヤ人や律法学者の思う通り「神」でなかったとしたら、自分を神とするキリストは、「気違い」か、「大うそつき」か、もしくは、まことの「神」、そのどれか一つが正しいことになります。(By Josh McDowell) キリストのことを「神ではなく預言者」と言うものがいるとしたら、これも、irrational。理にかないません。なぜなら、予言とは違って、預言者とは、神から言葉を預かって語る人物であります。よって、預言者キリストがご自身を「神」とするのであれば、彼は神です。しかし、彼が「神」でないのに自身を「神」と語るのであれば、彼は単なる「気違い」か、「嘘つき」にすぎません。もし彼を預言者とするのならば、彼が語るとおり、キリストは神の御子、この世の救い主となります。 さらに、キリストは、時代を大きく分けた人物です。 紀元前、紀元後は、 イエス・キリストの誕生を境としています。 紀元前とは、英語でB.C. = Before Christ =キリストの前 紀元後とは、英語でA.D.=Anno Domini=主の年、キリスト以降 今は何から2009年?若干のずれはあっても、 世紀を分けたのはキリストの誕生です。 自分を神とするキリストは、 「気違い」か、「大嘘つき」か、「神」か。 私はキリストを「私の主。私の神。」 と口で告白し、信じています♪♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.23 15:10:46
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