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先日、噂のイタリアンレストランに行ってきました。 以前から聞いていたのです。 「あそこのイタリアンはすごくおいしい。」と。 日本人のシェフはイタリアで修業したらしく、 ちょっと本場の味に近いらしい。 遠くからレストランをいつも眺めていました。 「おいしそうだなぁ。。。」って。 でも昨日ついに行ってきました! おいしかったです。すごく。 心も喜びに満ちて、大満足。満たされました。 「知る」と「味わう」は違います。 「遠くからただ見てる」と「味わう」は違う。 「味わう」は自分のものになる。 「味わう」は自分が手にして受け取り、口にしなければならない。 だれも味わわせてくれない。 自分が選んで食べるのですから。 イエスさまも同じ。 「ほうほう。。。」と聖書を読む。 聖書を「知る」 クリスチャンに話を聞く。 「あのレストランはおいしそうだなぁ」 と同じように 「この聖書の神、聖書のメッセージはすごいなぁ。。。」 と遠くから眺めている。 これだといつまでたっても味わえない。 自分のものにいつまでもならない。 「神様って、すばらしいんだって!」ではなく、 自分で味わい、満たされたくないですか? 自分は罪人であると気づき、主に自分の罪を告白する。 そして、自分の罪の身代りに苦しまれ、 死んでくださったキリストに感謝をささげる。 罪をお赦しくださいと祈る。 自分で自分を救うことはできないと知っているから。 私をどうぞ、お救いくださいと祈る。 私たちを救うため、御父によって送られ 人となられた、神の子キリスト。 そして、死から3日後蘇られ、 死に打ち勝ったキリストを信じる。 私たちを罪の奴隷から解放するため 自由を与えるために来てくださったイエスさま。 自らで吟味し、主は正しい、 キリストは自分の神であり、救い主であると信じることを選び、 行動に移す。 主を信じることを選ぶ。 自分の心で、キリストの救いを信仰によって受け取る。 そうすると、主は心に宿ってくださる。 そうして、主のすばらしさを味わうことができる。 愛は、日々移り変わる感情ではなく、 愛すると決める、愛することを選ぶ選択である。 信仰も、自分の存在や理解を超える存在を認め 信じると決める、信じることを貫くことではないだろうか。 信じられなければ、不信仰を助けてくださいと祈る。 とことん、主に力を尽くしてしがみつく。 そうすれば、 「聖書の神様って、すばらしいんだって!」ではなく、 「主はすばらしい!!!」と 心から語れるものに主がしてくださる。 主の素晴らしさを心から味わうからである。 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 旧約聖書 詩編 34:8 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.31 19:54:22
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