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自分の人生で、
神様は素晴らしいことをしてくださる! と、神様に期待していますか。 神様は私の人生を 豊かに祝福してくださる! と、神様に心から 期待していますか。 大人には難しいかもしれません。 なぜなら、 いろんな苦しみ、悲しみを通り、 十分に人生にがっかりしたことがあるからです。 期待をしなければ、 がっかりしない。 そういう生き方を人生で学び 何も良いことは起こらないだろうと考えれば 良いことが起こった時に喜べる。 だから、期待はしない。 そんな大人になっていませんか。 私はそうでした。 しかし、そう生き始めたときから 神様との輝いたまぶしい歩みの光は消えた、 と思います。 私の留学物語を読んでドキッとします。 神様にすごく日々期待しています。 そして、神様は 私の人生の中で期待以上のことをし、 ご自身を現してくださいました。 神様を体験できたのは 自分の神様への期待 「神様は素晴らしいことをしてくださる!」 という神様への信仰、信頼が 招いたのではないかと思うのです。 イエス様は私たちに どんな心持ちで過ごしてほしいのでしょうか。 「どうせだめだろう。 何も変わらない。 何も変わるはずはない。」 イエス様は私たちに そう思ってほしいのでしょうか。 私は「何も変わらない」という信仰を持つ者は 「何も変わらない」と思います。 「イエス様は私を変えてくださる。 素晴らしいことのできる方だ!」 という信仰を持つ者は、 それを受け取ると思います。 神様の素晴らしさを体験するとは、 神の栄光を見る と聖書では語られています。 誰が聖書の中で 神の栄光を見たのでしょうか。 その記録を見てみましょう。 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。 「ナザレの子イエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 ルカによる福音書 18:35-39 イエスの周りにはものすごい群衆でした。 この目の見えない男性は、 物乞いをしていた、 今日食べるごはんもなかったのです。 自分がそんな立場だとどうですか。 「自分なんて・・・」 「こんな私なんて・・・」 と思い、黙って座って イエスが通り過ぎるのを待ちましたか。 「周りに迷惑になる」とか? 「もう何年もだめだった。 私はこのままずっと盲目だろう」とか? この男性は、すごい勇敢です。 「この人にならできる!!!」 とものすごくイエス様に期待しています。 だから、どんなに人がいようと、 どんなに自分がみじめでも どんなに自分が下げすがれていても 迷惑になるほど叫んだのです。 「イエス様! 私を憐れんでください!!!!!」 するとイエスはどうしたのでしょうか。 イエスは立ち止まって、 盲人をそばに連れて来るように命じられた。 ルカによる福音書 18:40 自分が急いでいる時、 目的地に行こうとするとき、 自分の益にならない人に呼び止められたら 立ち止まりますか。 イエスは立ち止まります。 自分を呼ぶものに対して、 必ず立ち止まってくださいます。 彼が近づくと、 イエスはお尋ねになった。 「何をしてほしいのか。」 盲人は、 「主よ、目が見えるようになりたいのです。」 と言った。 そこで、イエスは言われた。 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救ったのだ。」 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。 ルカの福音書 18:40-43 もし神が自分のためだけに立ち止まったら どうでしょうか。 本当に願うものを正直に語れますか。 「食事を与えてください」 程度にとどめますか。 「この程度しかしてくれないだろう」 と、小さく期待しますか。 この男性は違いました。 見えるようになりたいのです!!! 奇跡を神様にお願いしたのです。 彼は奇跡をイエス様に期待したのです。 すると、手に入りました。 あそこで食事を!と言っていれば そのことが、手に入ったでしょう。 不可能を期待した男性。 目は見えない、お金もないけれど、 すごい信仰の持ち主だったのです。 こんなこともありました。 イエスの親友ラザロが死んだとき、 みんな悲しみました。 ラザロはしかし、死から復活するのですが、 イエス様が彼を死から復活させるのですが、 それもただ単に、復活させたわけではありませんでした。 そこにいた人々が 神様がラザロを死から復活することができる と期待し、信じるよう励ましました。 ラザロの墓は洞穴で、石でふさがれていました。 イエスが、 「その石を取りのけなさい」と言われると、 死んだラザロの姉妹マルタが 「主よ、四日もたっていますから、 もうにおいます。」と言った。 イエスは、 「もし信じるなら、神の栄光が見られると 言っておいたではないか」と言われた。 ヨハネによる福音書 11:39-40 もし信じるなら、 神の栄光が見られる。 もし信じるなら・・・ あなたは神様に期待していますか。 もし今、イエス様があなたに こう聞いたらあなたはなんと答えますか。 「何をしてほしいのか。」 主の栄光が、 あなたの人生であらわれますように。 アーメン。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.08 15:18:39
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