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試練を乗り越える方法が聖書には書かれてある。
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 新約聖書 ヤコブの手紙 1:2 まず、苦しみに出会うと喜びなさい!と聖書は教えています。 そんなこと、どうやってできるのでしょうか。 試練は苦しいから、喜ぶなんて難しい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたに望んでおられることです。 新約聖書 テサロニケの手紙 第一 5:16-18 すべてのことに感謝する? 泣きたくなるような悲しいことも感謝するの? そんなこと、聖書はどうして教えているのでしょうか。 人というものは、先の見えない生き物です。 今苦しければ、ずっと苦しみが続くと考えます。 今辛ければ、残りの人生ずっと辛いと考えます。 本当に苦しければ、プラス思考で無理やり考えようとしたって うまくいきません。 今の現状で打ちのめされて、先も、明日さえも 何が起こるか分からないのが、人間だからです。 心配や不安がつのるばかりです。 そんな私たち人間に、神様はここで 新しい「めがね」を与えてくださっています。 現状を、違う角度から見ることのできる眼鏡です。 苦しみや試練を、神様の目線から 私たちが見ることができるようにする眼鏡です。 いや、苦しみだけでなく すべてのことについて、 神様の目線から見る眼鏡をかけることができる。 そうさせてくれるのが、聖書です。 聖書は、私たちの視野をぐっと広げるものなのです。 視野を広げると、まるでカーテンをぐっと広げるように 中に光が入ってきます。 その助けをしてくれるのも、聖書なのです。 先程のヤコブの手紙の続きにこうあります。 私の兄弟たち。さざまな試練に会うおきは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると、忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 ヤコブの手紙 1:2-4 1.信仰はためされる 「信仰がためされる」とは、英語の聖書ですとtest of faithと書かれており、信仰のテストという意味です。信仰がテストされる。聖書の神様は、信仰をテストする神なのです。 私はクリスチャンになりたての頃、すごく上から目線で、周りの人に聖書を教えていました。ガンガン教えていました。これを私は信じている!と。 しかしそのあと、自分がどうにも耐えられないような試練に会ったとき、「本当の自分の信仰」を見せつけられました。どれだけ無いに等しい小さな小さな信仰か。 自分の信仰を過剰視していたのです。これは、テストされるまで分からなかったのです。 キリストの弟子、ペテロもまさにそうでした。ペテロはイエスに言いました。 「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」 新約聖書 ルカの福音書 22:33 さすが使徒!立派ではありませんか。私もイエスのためなら死ねる!と思っていた者です。しかし、キリストはペテロにこう答えました。 「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 ルカ 22:34 あなたのためになら一緒に死にます!と言っていたペテロは、そう言ったその日に、本当にキリストを「知らない」と3度言いました。呪ってまで、「知らない!」と言ったのです。キリストがつかまり、自分の立場がペテロはヤバイと感じたのです。自分まで殺されるかもしれない。「あなたは、イエスの仲間だ!」と言われても、「あんな人知らない」とのろってまで答えたペテロ。3度否定した後、ペテロは、じっと自分のことを見つめているキリストを見て泣き崩れました。キリストが否定すると預言していた通りだったからです。自分の信仰すら、自分でははっきり知ることができない。これにより、ペテロは心砕かれました。自分を過剰視していたことは、テストされるまで、気付かなかったのです。 神様は、テストされます。 そうすると、自分の信仰の弱さに気づき、自分や自分の信仰に頼るのではなく、「神のみに頼る者」と変えられるからです。 2.忍耐を完全に働かせる。 試練に会うときは、忍耐を完全に働かせなさいと聖書は教えています。忍耐は、ハッピーハッピーでは成長しません。奥行きの深い人間になるには、忍耐を鍛えられる必要がある。そして、忍耐を完全に働かせることができると、 何一つ欠けたところのない者となる 成長を遂げた者となる 完全な者となる と聖書は約束しています。 ただ単に、苦しみが苦しみしか見えるのではなく この試練を通して得るものが見えてくる。 今、神様が自分をこころみておられるんだ。 それは、愛の故だ。 自分が忍耐を働かせるときなのだ。 忍耐を働かせると、何一つ欠けたところのない、 成長を遂げた、完全な者となることができる。 試練の前の自分よりも 試練の後の自分の方が、強くなり、成長するのだ。 そして、この苦しみを通して 同じ苦しみを味わっている人々を 励まし、助けていくことができるのだ。 (参照:新約聖書 第2コリント 1:4) 試練に会うときは、この上もない喜びと思うのは 試練や苦しみは、自分の中に 忍耐、練られた品性、希望を生み出すからなのです。 (参照:新約聖書 ローマ人への手紙 5:3-4) そして、聖書は、神は試練の後に 脱出の道を与えてくださると約束しています! (参照:新約聖書 第一コリント 10:13) また、神は、すべてのことを働かせて すべてのことをその人の益としてくださる! と聖書は断言しているのです! (参照:ローマ人への手紙 8:28) これらの「眼鏡」を聖書を通して与えられた者は 「明日はない」 「きっとずっと毎日こんな日々が無意味に続く」 と生きるのではなく、 試練に希望を持って、立ち向かい、 すべてのことを益としてくださる神を信じるゆえに いつも感謝して生きることができるのです。 そのような新しい「眼鏡」を与えてくれるのが 私たちを愛する神であり、聖書なのですね。 主と一緒に、前向きに生きよう!! わたしはあなたに命じたではないか。 強くあれ。雄々しくあれ。 恐れてはならない。おののいてはならない。 あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、 あなたとともにあるからである。 旧約聖書 ヨシュア記 1:9 この夏、ネットで聖書を学ぼう! 聖書講座はこちらから 講師は私です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.09 10:28:10
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