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カテゴリ:神様のこと 聖書のこと
先日セレブレーションオブラブに行ったとき
グラハム先生が引用していた聖書の箇所。 ビンゴでした。 これだけでテンションマックス 新約聖書には福音書という本が4冊入っています。 それは、イエス様の誕生から どうやって赤ちゃんから成長して どうやって育ってどうやって大人になって また大人になってからどうやって話をして どうやって生きて、どうやって死んで どうやって死からよみがえって ということが分かる内容が詰まっています。 だから、イエス様の直の言葉が聞けるし、 態度や言動を見て どういうお方なのかを知ることができます。 どんな人かは他の人の意見を聞くより 自分で福音書を読んでみることをおすすめします。 さて、そんな福音書の中で、 わたしが一番好きなシーンがあるんです。 それが、グラハム先生のお話したところでした。 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。 彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。 「何をしてほしいのか。」 盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。 ルカの福音書 18:35-43 イエス様の大好きなところです! 自分は群衆に囲まれていて みんな自分の名前を呼んでいて 次の目的地へ行こうとしている時・・・ わたしだったら、立ち止まらないなー。 でもイエス様は違う!ちがうんです。 「うるさい!だまれ!」 物乞いをして、土と泥まみれの男性。 目も見えなくて、虐げられ さけんだら叱られて 黙れ!と言われる。 そんな彼は地に座っているから 立っている群衆の中だともちろん見えない。 見てもらえない。 彼は叱られても、怒鳴られても、 あきらめなかった。 イエスよ、わたしをあわれんでください! そう叫び続けたんです。 すると、イエス様は足を止めた。 そして、彼に言った。 「何をしてほしいのか。」 彼は目が見えるようになりたいと イエス様に伝えました。 自分の願いを伝えました。 すると、見えるようになった、というお話です。 イエス様は小さなものの声を聞いてくださる。 ここを見るたび、私の声は100% イエス様に届いている!って思うんです。 お偉いさんや、エリートクリスチャンのみ 耳を傾ける方じゃない。 本当に弱いもののために 足を止めて、耳を傾け 心の声と心の願いを聞いてくれて そのことを成し遂げてくださる。 そういうイエス様の心が見えて好きなんです。 イエス様に叫ぶものは、 だから希望があるんです。 とめられても、叱られても 馬鹿にされてもあきらめなかった盲目の男性。 わたしたちは目に見えても 心が盲目、なんてことはよくあることです。 だから、 イエス様に心を向けて イエス様の「何をしてほしいのか」に対して こんなことをイエス様は求めてるんじゃないか、 とか、 周りの人はこう祈ることを期待してんじゃないか、 とか、 そういうことは捨てて 自分の心に素直に ありのままの自分の姿で イエス様に近づこうではありませんか。 自分対イエス様です。 そんな小さな声を聞いてくれて また憐れんでくれて また願いを思うところをはるかに超えて 叶えてくださるイエス様に感謝します。 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 ピリピ人への手紙 4:6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.12.02 13:38:06
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