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カテゴリ:神様のこと 聖書のこと
人がもし、上当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 ペテロの手紙 第一 2:19-24 私の大好きな聖書の言葉です。 なぜなら、神様は人間とは違う、ということが分かるからです。 半沢直樹のドラマをフロリダへ行く飛行機の中で見ました。 最初はおもしろいな~と思ってみていましたが、 途中から心にいやな思いがあってみるのをやめました。 倍返しだ!! 復讐です。 復讐をしてはいけません、と聖書の神様は語られます。 復讐は、わたしの仕事だ、と神は語られます。 私たちが仕返しをするのではありません。 そのことを生きられたのが、イエス様です。 ののしられても、ののしりかえさず、 苦しめられても、おどすことをせず・・・ ましてや、殺されました。 イエス様は、唾をはかれ、ののしられ、 馬鹿にされ、苦しみを受けて、殺されたのです。 もし自分がそんな立場になったとき イエス様はどんな反応だったかを模範とし、 その足跡に従っていきたいです。 おどすことは簡単です。 仕返しも簡単です。 しかし、神様を信じる者、 イエス様を信じる者は ただしく裁かれる方へと明け渡すのです。 それは、信仰によってです。 神様を信じているからです。 神様に委ねること、 不当と思われることも自分で復讐せず 神様に祈り、ののしりかえさない。 それは、神様のやり方、 主の歩まれた道です。 私は神様であるイエス様が 生きる手本を見せてくださったことに 御心を生きることがどうであるかを その人生で見せてくださったこと 聖書を通して私たちに生き方を教えてくださっていることに 心から感謝いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.24 13:22:20
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