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カテゴリ:神様のこと 聖書のこと
最近のマイブームは、戦国時代から江戸時代にかけてのキリスト教をキリシタン大名を通して見るという日本史の見直しです。
なぜ戦国時代の日本人がクリスチャンになったのか、それも、一回に500人くらい洗礼を受けたりしているので、どないなんてんねん、と不思議で仕方がないのと、豊臣秀吉とか、徳川家康をはじめ江戸時代に突入すると、キリシタンへの大迫害が起こり、しいてはキリスト教禁止令が発せられるなど、キリスト教はご法度NGで、「見つけたら殺す!」となり、実際には何十万人ものクリスチャンが殺されたのではないかと言われているのは噂なのか、まことなのかをいろんな書物を読んで理解したいと考えています。 それで、日本史から見るキリシタンですが、うーん、まだ私の意見は発表できませんが、けっこう激しいです。まず、仏教を「悪魔の働き」と言って寺院を焼いて滅ぼし、仏像をめちゃめちゃに倒し、そして、その壊した木材で教会を建てていました。それに、先祖を崇拝する日本人に対して、そのお墓や像を焼き滅ぼしたりしていたみたいです。これでは、イエスキリストの愛を実践するどころか、まさにクルセードの時代にやっていたことで、キリスト教を代表するのではなく、歪んだ教えによることで、非常に残念なことをしていたのだなぁと本を読んでいて胸が痛みました。それはキリシタンといえども日本人に対して非常に失礼ですし、隣人を愛し尊重するべきであるにもかかわらず、またキリストの愛でもって伝道するべきであったにもかかわらず、ものすごく勢いがあったことであるように見受けられました。これはやはり、クルセードの歴史と当時の影響を深く受けていたカトリック教会の激しい誤った教えそのものが日本に到来し、その教えを信じ込んで日本のキリシタンが激しく戦いを仕掛けていたというふうに私は個人的に見ていて思いました。 正直に申し上げて、そんなことをしていたのであれば、キリスト教禁止令が出ても仕方がないかなぁと読んでいて思いました。確かに秀吉とかの言うことも聞かず、名誉にも金にも引っかからず我が道をいっていたキリシタンは、ヤバイ存在であったに違いなく、それは恐ろしい団体で、それこそ火が小さいうちに消さなければいけないと秀吉や、徳川などに判断されても仕方がなかったのかなと思って読んでいました。 しかしながら、そんな中でも途中までは織田信長はたいそうキリシタン贔屓で、布教活動に非常に協力的でありました。それを引き継いではじめは協力的であった秀吉も、だんだんとキリシタンの行動に疑問を抱き始め、いろいろありついには26人のキリシタンを処刑するに至ったのですが、ここから徳川の時代に入り、キリスト教禁止令、鎖国と導かれるのですが、そんな中でも、クルセードのような激しく勢いのあるキリシタンがいたにしても、非常に熱心なキリストを愛する敬虔なキリシタンはたくさんおりました。日本で当時キリスト教が瞬く間に広がったのは、「外国人宣教師に任せず、日本人自らが布教活動に活発的に、精力的に参加した」からだと思われます。 伝道を自分みずからが、日本人キリシタンが!行ったのです。家族が洗礼を受け、部下が洗礼を受けて行ったのです。これは、別にやれと言われたからではなく、やはり救いを体験し、これ以上に素晴らしいメッセージはない!と感動し、本当に心底信じたからではないかと思われます。ましてや、カトリックの宣教師たちがそれをすすめて、励ましたに違いないのではないかと個人的に考えていました。 また日本史書物を読み進めてこちらで発表させていただければと思います。 温故知新。古きを知って、新しきを知ろう。そこに、今現在に通ずる伝道のカギがあると見ています。 ☆ ← Norikoのツイッターは星をクリックしてね ♡ ← Norikoへのメッセージはハートをクリックしてね @ ← Noriko's Cafe♪コミュニティへのご参加は、左の@マークをクリックしてみてね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.07.26 20:33:01
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