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カテゴリ:イースター / Easter
今週の日曜日はイースターでした。 また、イースターは、 イエスが死から3日目によみがえり、復活したことをお祝いする日でした。 では、なぜ、 その復活をクリスチャンはお祝いするのでしょうか。 それは… 神がわたしたちを愛するがゆえに 身代わりとなり死なれ また、死から復活したことにより 死からキリストが勝利したからです。 よく分からないですよね(笑) キリストが死に勝利したのは まず、 私たちを死の恐怖から解放するためでした。 “神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。 これだけが、一生涯死の恐怖の奴隷となっている人間を救い出す方法だったのです。” へブル人への手紙 2:14-15 JLB それだけではありません。 キリストの死からの復活により、 キリストを信じる者には 神の約束を受け取ることが できるようになります。 それは、今もそうですが、 全ての人に訪れる死 にも影響を及ぼすのです。 キリストの死からの復活により 何が私たちに与えられるのか。 数多くありますが、 今日は一つに集中します。 死んでから与えられる、 新しい体です。 昔は死んだら体から霊がぬけ、 蒸気のように プヨプヨ空中に浮く存在になる、 と思っていまさした。 聖書は、 そうではない、 と教えています。 では実際にどうなるのか。 聖書を読んでみてください。 あなたはこの聖書箇所を どのように理解されますか? May God bless you, reading of His Words. "私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。 今のこの体は傷み衰えていますが、天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。 この地上の体のために嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。その新しい体を着たいと願うばかりです。そうすれば、この死ぬべき体が、永遠のいのちにのみ込まれてしまうからです。 これこそ、神様が私たちのために用意してくださったことであり、その保証として、御霊を遣わしてくださったのです。 いま私たちは、確信をもって天で与えられる体を待ちこがれています。また、このように地上の体で過ごしている間は、イエスと共に過ごす、天国の永遠の家から離れていることもよく知っています。 実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めているのです。 ですから、少しも恐れません。むしろ、死ぬことは願わしいのです。 それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。 そういうわけで、地上でこの肉体のままでいようと、肉体を離れて主と共に天にいようと、私たちの目的は、いつも主に喜ばれることです。 なぜなら、やがて私たちはみな、キリストの前でさばきを受けなければならず、全生活がさらけ出されることになるからです。善であれ悪であれ、地上の体でいる時の行いに応じて、私たちはそれぞれ、ふさわしい報いを受けるのです。 ですから、私たちの心にいつも主を恐れる思いがあるのです。それで、ほかの人々を説得しようと必死になっているのです。それが純粋な気持ちから出ていることを、神様はご存じです。だから、あなたがたにもこのことをはっきり知っていただきたいと、心から願っています。 コリント人への手紙Ⅱ 5:1-11 JLB
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Last updated
2017.05.08 10:43:15
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