札幌に生まれ、アメリカのノースウェスタン大学美術科卒業。絵画を制作していたが、60年代にマース・カニングハム舞踏団の美術監督であったロバート・ラウシェンバーグらと出会い、66年代にはニューヨークにて、アーティストとエンジニアによる実験として行われた「九つの夕べ――演劇とエンジニアリング」に出演。アメリカのアートシーンとの交流を深めていった。 ペプシ館「霧の彫刻」→
芸術と科学の協働を理念とする実験グループ「E.A.T(Experiments in Art and Technology)」に参加。活動の一環として、70年の日本万国博覧会のペプシ館で「霧の彫刻」を初披露。