♪ 雨にぬれ赤きまゆみの輝きぬ気が付けばもう七合目あたり
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「百歳まで生きる」と決めて、良いことだけをセレクトして生きていく。そんな素敵な古希の女性が身近にいて、着々とその方向へ向かって楽しい生活を続けています。先日の宴でも百歳と言うことばが何度も交わされていました。
自然なもの、無添加のもの、栄養価のあるものなどを選んで食べるのはもちろん、前向き志向で興味のあることにチャレンジし、進んで取り込んでいく。モノを作る喜びを心から愛し、興味と執着は広がることはあっても狭まっていくような事はない。
なのでいつでも忙しく、暇という言葉は彼女には存在しない様だ。確かに元気を維持しつつ、百歳まで楽々と到達してその後も矍鑠としてつづけるだろうと、傍で観ている我々も納得させられる。
この時期になると、欠礼を詫びる喪中はがきが幾つも届きますが、その亡くなった家族の年齢がどれも九十代で、中には百歳というのもあって驚く。今年100歳の人は、大正8年生まれということで大正、昭和、平成、令和と、日本の激動の時代を生き抜いてきた人達だ。
日清・日ロ戦争を体験し、太平洋戦争を敗戦で迎えたのが26歳。その零からの復興期を遮二無二働いて、戦後復興のシンボル・大阪万博を51歳で経験し、4年後には定年退職。恩給や年金生活に入ってからの人生が45年だ。
彼らの子供がわれわれ団塊世代であり、30年の開きがあるが後追いという形でなぞらえることが出来る。しかしそれも昭和までで、平成以降はすべてがドラスチックに変化してしまったために乖離するばかりとなった。
ただ戦後の貧しさを知っているし、とにかく人数が多かったことで我慢が日常に溢れてもいた。忍耐を知る世代として、ミトコンドリアは逞しさを持っているし免疫力も忍耐力もそこそこにある。真面目に物事を捉え、常識と良識も持っている。あと30年は、案外行けちゃうのかもしれない。
昨日、2週間以上間が空いてしまったウォーキングだったが、いつもの様に階段120段を駆け上がったし、折角だからと3分の間隔のインターバル速歩も入れたりして12,000歩ほど歩いたがほとんど疲れなかった。休養充分とはいえ、家を出る前はショートカットも止むを得ないなあと思っていたので、自分でも驚いている。
私は100歳まで生きたいとは思っていない。なので適当なところでパッといなくなりたいわけだが、そうもいかずに想定外の事になっていくのだろうか・・・
|