♪ 柔らかき石だと思うわが心身(しんみ)熱しやすくも冷めやすしもの
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会社に属して生きる人は全体の80%以上でしょうか。自営やフリーランス、あるいはアーチストや何らかのクリエーター、はたまたぶっ飛びのアウトサイダーでなければ、どこかに属するしか生きる道はない。
無自覚に自分を部分として身をささげてているうちに、いつしか本当の自分を見失っていく。そうなると自分が自分でなくなっていく不安から、どうしようもなく不安定な心持ちになっていく。
“人は何故生まれて来て、何のために生きているのか” と哲学者は考える。普通の人々はそんな事を考えることもなく、ただ生かされて死ぬまで生きていくだけだ。ただ、自分が何者なのかを考えるさせられることは度々ある。
この文章に出て来る「はぐれくん~」のあとがきの「大事なのはふさわしい相手を(他者)を見つけることではなく、ふさわしい自分を見つけること」は、他人と自分を比べざるを得ない状況に生きる人間の、「永遠のテーマ」なのかも知れない。
私自身は、他人と比べないことを信条としてから楽に生きられるようになったが、「秋深き隣は何をする人ぞ」芭蕉の句を持ち出すまでもなく、人である以上自分を推し量るのには他人を鑑にしたくなるものだ。
無人島で、たった一人で生きていたら、どうなんだろう・・・。
平野敬一郎は、「分人(ぶんじん)」という生き方を提唱している。
流されやすい、主体性に欠ける、自分を持ってない、ブレる、・・・と、私たちの社会は、一貫した個性を持たない人間に、とかく批判的である。1人の人間は複数の分人のネットワークからできていて「本当の自分」という中心は存在しないと考え、肯定的に自分を分けて考える生き方を勧めている。
講談社現代新書 人格を使い分けるのではなく、環境の中でおのずと変化していくものであってその構成と比率をあるていど自分でコントロールしていく。辛い状況にある人は、自分のアイデンティティーを複雑化しないと生きてゆけないので、人生を複数のプロジェクトみたいにして、いくつかのことに関わりながら、どうにか成立させていくというやり方。
嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか?
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