♪ 半世紀前に迎えし成人の吾は万博を斜(はす)に見ていき
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高度経済成長時代の幕開けが1955〜57年の神武景気、そして1958〜61年の岩戸景気と続き、1963〜64年はオリンピック景気。この1964年の東京オリンピックのあと、1966〜70年のいざなぎ景気と好景気が長期間続いた。
開高健は、1964年に朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへ赴いている。ネズミを引き合いに出す部分は、1957年に『新日本文学』誌に発表された「パニック」を思い起こさせる。
56年前のオリンピック直後に書かれたものが、IT、AIの今の時代にも根本的な部分では決してかけ離れたものではない事に愕然とする。貧富の差は開くばかりだし、人々は情報の海に漂う塵芥のごとく未来に不安を抱えながらフワフワしているように、私には見える。
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という樹木希林の言葉を本当に理解できる人は、一体どのぐらいいるのでしょう。「情報に流されず、自分を客観視し、無駄なものを排除して、平然と生きる」ことが理想と分かっていても、プレーリードッグ(ネズミの一種)のように、周りをうかがい乍ら身を屈めているばかり。
今年はあの高度経済成長を夢見て、再びオリンピックが開かれるわけですが、二極分化が進むばかりで幸福感に浸ることが出来るのは一部の世界だけのような気がしてならない。
5年後には45年振りの大阪万博を控え、「IoT(物のインターネット)、AI(人工知能)、ロボティクス、ビッグデータ、バイオテクノロジー(Society 5.0)」といった技術によって、
様々な地球規模の課題が解決された、SDGs(持続可能な開発目標)達成された社会を目指すとされている。
デジタル化が進んで、関係の無いものがどんどんそぎ落とされていき「データ」だけの世になっていく。医療現場ではすでにそうなりつつある。患者の意見は重要視されず、検査データだけが診断の基準になる。
人間とは別の場所に知能を置くようになり、AIが判断してAIが意思決定をする。資金は高い所にばかり集まって下流へは流れて来ない。
富の再分配の仕組みをどうするか、今から議論を進めていかないと格差は拡大し、固定化してしまうとう懸念。
直近の高齢化社会ばかりが取り沙汰されているが、若者が生き生きと面白がって生きられる社会を作り上げなければいけない。
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