♪ おや今日は空気が薄い音の波の届かぬ妻の気色を窺う
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ある原因があって耳が遠い連れ合い。話し掛けても聞こえていないことが度々ある。その都度同じことを繰り返して言うのはなかなか面倒なことだ。何気なく言ったようなこと、ちょっと話し掛けた程度のことが多いのでなおさらだ。
「えっ、何?」「もういわ」と、会話にならないことある。重要な話なら声を張ってきちんと伝えようとするが、些末な日常会話なんてボソっと喋るのが普通だ。トーンも低く声も小さいので余計聞き取りにくいらしい。
低音で渋い、いい声だったのが、いつの間にか声に張りがなくなっているのだろう。声帯も筋肉なので歳と共に落ちていくし、肺活量も落ちているのかも知れない。
聞こえないとついつい声が大きくなる。2度繰り返してもまだ聞きとれなかったりすると、気が短い私はもうダメ。「いっそのこと、筆談にしようかー」なんて冗談を言う。筆談はさすがに現実的じゃないので、「手話で会話しようか」。覚えれば何かの時に役に立つかもしれないし・・でもマスターするのは大変だし、面倒だし。
”聞こえない側は、何も困らない“ のがこの問題の厄介なところ。聞こえないのは見えないのと同じで、無いのと同じ。話し掛けるこちら側に一方的な不満が残り、それが齟齬の原因にもなる。
補聴器を買うほどでもないし、だいいち良いものはすごく高い。
昔、親父が結核で入院し、ストレプトマイシンのせいで難聴になり、お袋が「スト・ツン」という名を挙げて嘆いていた。それで、補聴器を買ったものの当時はまだ良いものが無く、“雑音も同じように増幅してしまうので喧しくて却って疲れる” と、使わなくなってしまったのを知っている。
今は研究も進んで、個人個人に合ったものをオーダー出来るようにもなっているらしい。
メガホンという手があると思い、「どう? 良く聞こえるだろう?」と、口に左手を手を添えて言ってみる。「うん、まあ」と、頼りない反応。本人はその必要性を感じていないのだからしょうがない。
メガホンがあれば大きな声を出す必要もなくなる。それで例のごとく(使うか使わないかは別にして、何かの役に立つかもしれない)作ってみることにした。
市販のものはいかにも大きくて家の中で使うには仰々しすぎる。小振りの可愛らしいのがいい。読書の合間のブレークタイムを利用して、二日ほどかけて作った。
広告の紙をくるくるっと丸めて形を作り、適当なサイズにカット。余分な部分を切り落として型紙とし、型彫用(昔は渋紙だった)の丈夫なものを切り抜いた。そのままでは色気が無いので、アクリル絵の具で彩色。
このままで良いかとも思ったがいかにも愛想がない。これが何なのかも良く分からず、踏んづけられてお終いという可能性もある。それらしい姿にしてやらないと・・
それで珈琲を飲みながら考えた。もうひと手間掛けるべし・・。
紐を付けるべし。テーパーの付いた筒状の紙にハトメを留めるのがちょっと面倒だったが、それらしくなった。持ちやすくもなったし、存在感が出たぞ。口の当たりも良くするため、当て紙を貼り付けたらいいアクセントになった。
長さ21㎝、直径12㎝。かわいいサイズのメガホンの完成。
果たして使うことが有るのかどうか。
私は高音が聞き取りにくいし、連れ合いは低音が聞こえない。お互いの声がその不都合な部分に合致しているわけで、時として「つんぼ長屋」のような会話になる。
「あの声はピピだね」「違うよ、あれはピピだよ」「ウッソー、てっきりピピかと思った」なーんていう会話が、これからも増えていくのだろう。
会話をしている様で会話になっていない。でも何か会話らしいものがしたいのに独り言のようになってしまう。疎外感を感じてふと空しさを覚えるたりする。オウムと喋っている方がよっぽど面白いかなんて、底に沈んだお茶っ葉のようなことを考える。
歳と共に会話が減っていく。メガホンを使うとしたら、何かを頼む時とか一方的に伝えたい時とかに手が伸びるのかも知れない。それでは本末転倒というものだが・・。
試しに猫に向けて囁いてみた。普段は私の声は聞き取れないのか反応してくれないのに、聞こえたようだ。
猫と言えども低音はよほど音量を上げないと聞こえない。40㏈なんてかなりの音量だ。さすがメガホンの効果は抜群で、聞き取りにくい声がちゃんと伝わっている。
私の声は100~200Hzぐらいか、かすれ気味なのでなおさら聞き取りにくい。メガホンは役に立ちそうだが、この分だと猫向けのメガホンになりそうだなぁ。
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