♪ 昼夜とも同じに過ごす老人は猫になりたり擬態なるべし
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昨夜の深夜2時ごろ、主人様は電話で起こされた。最初のコールをスルーしたのは、相手が誰だか想像できるからで、他からの重要な要件なら「まだ起きないらしい」と思って再度掛けてくるに決まっている。それで、ちょっと様子を見ようとしたんだね。
その想像できる相手にしても、こっちが出るまで掛け続けることは分かっているので、二度目にはどっちにしろ出なくちゃならない。
案の定、直ぐに2度目のベルが鳴った。スマホじゃないので枕元には置いてな。子機のある隣室にいって、受信のボタンを押す。
「もしもし、○○さん?」
ああ、やっぱりだ、「そう○○ですよ」
「◎◎さんいるぅ?」
寝ているけど「いません」と言っておく。
「いないの?じゃあ言っといて。食べるものがなにもないんだがね」
またこれだ、「そう、大変だね」
「どうなっとるの、ねえ」
いつものことなので、「大変だねぇ。腹が減ったの?」
「な~んにもないんだから」「◎◎さんに言っといて、何か買って来てって」
毎日行って世話してるのに記憶がない。「はい、言っときますね」
「おねがいしますよぅ」
ときどきではあるけれど、こんな同じ内容の電話が昼夜を問わずに掛って来る。爺さまの機嫌が良ければ昨夜の様におだやかに対応できるけど、そうでない時はついつい声を荒げてしまうこともある。
毎日毎日、娘二人が交代で買い物をし、食事も用意してあげているのに、全くインプットされていないらしい。メモリーのないPCにデータを打ち込んで、スイッチオフした途端に消えてしまうような、何とも言えない無力感に囚われる。対面しているときには反応が返ってくるのに、オフになるとすべてが消えて一方通行のデータだけがこちらの手元に残る。どうしようもないのだけれど、そのギャップが苛立たしいらしい。
96歳と88歳の義父母は、寝たきりになってるわけでもないし、徘徊して行方不明なんてこともない。確かに「子孝行」と言ってもいいくらいのもの。世間で聞こえてくる在宅介護の様子からすれば、問題なんか何にもない。幸せと思わなきゃ罰が当たるってもんじゃないの。介護施設に入っていないのも有難い事だと思わないとねぇ。
電話をしてくるのは繋がりたいと思ってる証拠だし、なんか淋しい思いをしてるのかも知れないなぁ。猫と同じようなもんじゃないの? 一方的に言いっ放し、相手の言うことなんか聞いていないところなんか、まったく一緒じゃないの。
でもなぁ、「かわいいな~」って猫みたいに思ってやれないらしいなぁ。それは、お互いの人格とやらが邪魔してるんだろうね。何を考えてるのか分かんない猫と、自我がないと生きられない人間と、全くちがうから一緒にいられるってことか・・。
「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
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