♪ 温暖化を愁ふ後ろに氷河期を憂う声あり過去という未来
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朝日新聞文化欄に「語る ─人生の贈り物─ 」に、児童文学作家の「角野栄子(かどのえいこ)」が登場。絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイストで、日本福祉大学の客員教授でもある大ベテラン作家。記者との対談が、全14回にわたって連載されます。
86歳になり、作家デビューから50周年を迎えたらしい。「魔女の宅急便」の作者としてご存知の方も多いかも知れないで。私はこういう本を読んだことがないので、この記事を読むまで全く知らなかった。
作品を書くスタイルがとてもユニークで、なんだか面白くて親近感があってとても気に入った。
それは、先ず白い紙にボールペンで自分にしか分からないような文字でざーっと書いていく。行き詰まったら、いたずらがきなんかをするらしい。それをパソコンに入力して、印刷しては直し、声に出して読む、を繰り返すんだとか。
そしてそのスタイルの最も気にいったのが、「結末は決めずに書く」というところ。「あらかじめ」っていう言葉が嫌いで、あらかじめ考えておいてその通りにならなかったら気分が悪いし、「あらかじめは先細りする」からなんだって。その感覚よ~くわかる。
決めたことに向かってやっていこうとすると、いろんな可能性を排除してしまうことになるからなんだね。アイデアを取り込みながら書いていけば面白くなるし、ページをめくるたびに「何が飛び出すか」という期待が、書いている自分も読む方も楽しいはずだって。
こういうのは私生活にも反映しているだろうと思う。あらかじめ予定を決めずに買い物や食事に行く。旅行なんか最たるもので、一切予約をせずに「行き当たりばったりの出たとこ勝負」というのを理想としてるんじゃないでしょうか。ただ、条件が許さずそれが出来ないことも多いでしょうから、制約の中で折り合いを付けていくしかないのが現実かも知れません。
「前後際断」という「過ぎ去った過去に囚われ、見えない未来に縋ることの無意味さを言い表す言葉」が、角野栄子さんの頭に常にあって、今も精力的に執筆を続け、オンライン会議システム「Zoom」も使いこなし、カラフルな装いや、写真投稿アプリ「インスタグラム」への投稿も続けているんだろうなと思います。
「前後際断」田川悟郎
道元禅師は「正法眼蔵 ─ 現成公案」巻で、『たき木、はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちあり、さきあり。かのたき木、はいとなりぬるのち、さらにたき木とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり、このゆえに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆえに不滅といふ。生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。』と記している。
つまり、木は「過去」、炭は「今」、灰は「未来」を例えていて、決して元には戻らない。前際 ─ 中際 ─ 後際、つまり「過去・現在・未来の時間軸」その際を断ち切れということなんだね。
臨済宗の沢庵宗彭も、「前後際断と申す事の候、前の心をすてず、また今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きってのけよと云ふ心なり、是を前後の際を切て放せと云ふ義なり、心をとどめぬ義なり」と『不動智神妙録』第十二節 前後際断に記している。
文豪・夏目漱石は、イギリス留学中の模様を書いた「倫敦消息」(ロンドン留学中の漱石が友人の正岡子規と高浜虚子に宛てた手紙)の中に、「前後を切断せよ、 みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、 満身の力をこめて現在に働け」と書き送ったことが記されているとか。
阪神に移籍してすぐの頃の下柳投手は、自身のグローブに「前後際断」と刺繍して、どんな状況に陥ってもマウンドでその言葉を常に見ながら、目の前の一球に全力を尽くすことを心掛けたそうです。その結果、不振から脱却し、3年後の37歳のときには最年長での最多勝利賞を獲得しているんだね。白石豊(メンタルトレーナー)を参照
また、中村元監修の『原始仏典〈第7巻〉中部経典4』(春秋社)にはこうあるらしい。
「過去を振り返るな、未来を追い求めるな。
過去となったものはすでに捨て去られたもの、一方、未来にあるものはいまだ到達しないもの。
そこで、いまあるものをそれぞれについて観察し、左右されずに、動揺せずに、それを認知して、増大させよ」と。
先の事なんか分からないから生きていられる。気休めのために占いに縋ったりするけれど、世に溢れている曖昧な情報を取り込んで支配されてしまっては、却って害になるだけでしょう。また、過去の実績や地位に縋って生きている人の多いこと。是非そんな人にこの「前後際断」の言葉を贈りたいものです。
今という瞬間瞬間の積み重ねで生きている動物には、取り越し苦労も無駄な憂慮もない。それらを専門にしている人ほどそのことが良く分かっているかと言えば、そうとも言えないのが人間の愚かなところでしょうか。
角野栄子さんは多分、楽観主義者で、今を楽しむ達人なのだろうと思います。
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