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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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2021.07.30
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カテゴリ:音楽

♪ いつしらに蝉鳴きやみし夕凪に「亡き子をしのぶ歌」を聞きおり

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 猛暑の少し和らぎ始める夕方、工事も終わり静かになった空に茜雲をなでるような風が吹いてくると、得も言われぬ安らぎの心持ちがしてくる。
 窓を開け放って、音量を上げたスピーカーからデートリッヒ・フィッシャー・ディスカウの張りのある声が流れてゆく。夏の夕暮れに聴く「マーラー」はなかなか良いものだ。

「亡き子をしのぶ歌」フリードリヒ・リュッケルトの同名の詩を本に、グスタフ・マーラーが作曲した声楽とオーケストラのための連作歌曲。
 原詩はリュッケルトの作った425篇から成る詩集であり、彼の子供のうち2人が1833年の冬から1834年にかけて相次いで死ぬという悲しい出来事のあった後に書かれた。マーラーは425篇から5篇を選び、1901年から1904年にかけて作曲した。(Wikipediaより)

””
第1曲「いま太陽が燦々と昇ろうとしている」
 今、まさに太陽が燦々と昇ろうとしている。
 まるで昨夜の不幸など何もなかったかのように。
 その不幸は私だけに訪れたものだった。
 太陽はあまねく照らし出す。
 夜を自分の中に包み込んではならない、
 永遠の光の中に沈めておかなければならない、と。
 ちっぽけでかわいらしいランプが私の天幕の中でその光を消した。
 この世の喜びの光に幸あれ!と。

第2曲「いま私はわかった。なぜそんな暗い炎を」
 いま私はわかった。なぜそんな暗い炎を
 おまえたちがたびたび私に向けその瞳に照り輝かせていたかを
 おお、その瞳、その瞳なのだ!
 まるで眼差しいっぱいにおまえたちのすべての力をこめ
 たたえているかのようだった。
 しかし、私はわからなかったのだ。運命の織りなす深い霧のために
 目をあざむかれていたために。
 おまえたちの目の光がすでに故郷に帰ろうとしていたのが。
 すべての光が生まれたところへその場所に帰ろうとしていたことが。
 おまえたちはその光で私に告げようとしていたのだね。
 「私たちはあなたの近くにいたいのだけれど、
 運命が私たちにそうすることを拒絶したのです。
 もうじき私たちは遠くへと行ってしまうから、私たちをよく見ていてね!
 いまあなたを見ているこの瞳は、
 来たるべき夜には星になってしまうのですから。」と。

第3曲「おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき」
 あなたのお母さんが
 戸口に歩み寄り、部屋に入ろうとして、
 私が頭をめぐらせ
 振り返り見るとき、
 最初の私の一瞥の視線は
 お母さんの顔ではなく
 むしろ敷居のそばの、
 その場所の
 あなたの愛らしい顔が見えていた場所へ
 もし、あなたが晴れやかな喜びに満ちあふれ
 お母さんと一緒に入って来るならば、
 いつもどおり何も変わらない
 私の娘であるのに

 あなたのお母さんが
 戸口から中へ歩み入り
 蝋燭のうす明かりと一緒に
 それがいつものようだと感じさせるには
 もし、お母さんの後ろから
 あなたがすばやく追いかけて来るならば
 それはいつもと何も変わらない部屋の中であるのに

 おお、あなた、おお。おとうさんの分身、その細胞よ。
 ああ、本当にたちまちに
 あまりにも早く輝かしい喜びの光を消し給うたのだ!

第4曲「よく私は子供らはただ散歩に出かけただけだと考える」
 しばしば、私は考える、子供らはただ散歩に出かけただけだと!
 まもなく、家に戻って来ることになるだろう!
 今日はうるわしい日だ! おお、何も心配するに及ばないのだ!
 子供らはただ遠足に行っているにすぎないのだから

 そうとも、子供らはただ散歩に出かけただけなのだ。
 きっと今頃は家に戻って来るところだろう
 おお、まったく心配する必要もない、今日はうるわしい日なのだ!
 子供らは、ただあの高みへ行っているに過ぎないのだ!

 子供らは私たちに先んじて散歩に行っているだけ。
 そして、二度と家を恋しく思わないのだろう!
 私たちは子供らに追いつく、あの太陽の輝く高みの上で!
 あの高みの上では、一日がうるわしいのだ!

第5曲「こんな嵐のような天候の中で」
 こんな嵐のような天候の中で
 私は決して子供たちを外に出したりはしない。
 誰かが子供らを戸外へつれて行った。
 私はそれに対して口出すことさえ許されなかった。

 こんなに荒れ狂う天候の中で
 私は決して子供たちを戸外に送り出しはしない。
 私は子供らが病気になりはしないかと心配だった。
 今やそれはむなしい考えごとであった。

 こんな恐ろしい天候の中で
 私は決して子供らを外へ出したりはしない。
 私は子らが翌朝亡くなるのではと気がかりだった。
 それは今や心配することさえなくなった。

 こんな恐ろしい天候の中で
 私は決して子供らを戸外に送り出したりはしない。
 誰かが子供らを戸外へ連れ出したのだ。
 私はそれに対して口を挟むことさえ許されなかったのだ。

 こんな荒れ狂う天候の中で
 こんな嵐の中で
 彼女らはまるで生家にいるかのように
 もうどんな嵐も驚くことなく
 神の手におおわれて
 彼女らはまるで生家にいるかのように


 続いて「なき王女のためのパヴァーヌ」を聴く。
 モーリス・ラヴェルが1899年に作曲したピアノ曲および1910年にラヴェル自身が編曲した管弦楽曲。 パヴァーヌとは、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの宮廷で普及していた舞踏のことで、ラヴェルによると、この題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。

””

 タイトルに惑わされて悲しい曲だと思い込んでいたが、そう言われれば確かに悲しみに打ちひしがれている感じはしない。小さな王女が宮廷で踊っている光景が浮べながらラベル自身の演奏を聴いていると、猛暑のことなど忘れてしまう。

Maurice Ravel Pavane pour une infante défunte
””
亡き王女のためのパヴァーヌ 演奏:モーリス・ラヴェル

 夏の夕方、グラスにプリンのカップで作った大きな氷を浮かべ、ジンライムなど飲みながら聴くクラシックも良いものだなあと、“ジャズ好きジジイ” が新しい楽しみを発見したのでした。





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最終更新日  2021.07.30 08:08:21
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題しました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
◆2017年10月10日より つれずれにつづる「みそひともじ」と心のさんぽに改題しました。
◆2019年6月6日より 「歌とこころと心のさんぽ」に改題しました。
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