♪ ありありと結果が見える既視感の薔薇ならびゆくテレビ中継
参議院選挙の投票日(7月居10日)が近付いています。前回の投票率は、平成7年(7月23日)の記録的低水準を下回って(10代を除く)、最低を記録しています。
平成7年 (1995年)といえば、27年前
▼阪神・淡路大震災が発生。阪神地方でM7
▼地下鉄サリン事件。
▼全日空857便ハイジャック事件
▼総理大臣: 村山富市(日本社会党)- 自民党・日本社会党・新党さきがけの連合政権
▼「無党派」が流行語大賞受賞。青島幸男(東京都知事)が言った。世界都市博覧会の中止を選挙公約通り決定。
▼梅雨明け後に猛暑となり、2年連続の記録的猛暑に(北日本を除く)。6月は梅雨寒で平年を下回った。
▼超円高、円が 1ドル=79.75円を記録。
いろいろありすぎた年で、市民の関心は選挙どころではなかったようだ。また、1992年(平成4年)以降、政治への関心が急速に下落していく。1993年の日本新党代表の細川護熙内閣が、8月9日から翌年の4月28日までしか持たず、次の新生党党首の羽田孜内閣が4月28日から6月30日までしか持たないという政治の混乱が、期待から落胆へと国民を裏切る形となりシラケてしまった。
偶然にも今読んでいる「芥川賞全集 17」が、この年の受賞作が載っている号だった。第113回(1995年上半期) - 保坂和志 『この人の閾』、第114回(1995年下半期) - 又吉栄喜 『豚の報い』
それにしても20代の投票率が低すぎる。ここを上げない事には政治は変わらない。新聞にこんな記事があった。
オーストラリアでは、投票所でボランティアがソーセージを焼いて、投票所に行った人がそれを楽しむ習慣があるらしい。パンにはさんで500円ほどで食べられ、収益金は地域の福祉活動などに充てられるという。
9割近い投票率があり、法律で義務付けられているとはいえ、“どうせ行くなら楽しみましょう” という発想が、文化となって定着しているなんて、素晴らしいじゃないですか。
政府が、本当に投票率を上げたいと思っているかが、どこにも形として表れていない。国会議員は情けないほど心が狭い。「落選すればタダの人」その一点にしか発想が向いていない。いつまでたっても「どぶ板選挙」から抜けられない。
国会議員に1人月額100万円が支給される「文書通信交通滞在費(文通費)」がいまだに不透明のままで、国民がスカッとする改革など全くする気がないように見える。こういう後ろめたいことをやっているのが今の政治家だ。あまり正面から投票して下さいとは言えないわけだ。
少子・高齢化が30年前から分かっているのに手を打ってこなかった。投票率の図に見るように、投票する高齢者に照準を合わせた政策ばかり。若者が生き生きとして将来を信じて生きられるような、魅力的な国を作る発想すらなかった。
コロナ化を経験し、若者や弱者が大きなダメージを受けて以降、初めての国政選挙。参院選は元々が存在感が薄い。しかし、政府に期待できないなら自分たちで何とかしていこうという機運が盛り上がってきているのも確か。
LDGBや社会的弱者、セクハラや各種ハラスメントなど、若者からの反旗が出しやすくなってきている状況にある。選挙にもそれらのパワーが形となって表れてくるのは、時間の問題かもしれない。
暑さも一息つくようで、投票日も猛暑にはならないようだ。
しかし4日以降、台風4号の発生も危惧されていて、大雨にならないことを祈るばかり。
(DやE の記号は確率が低いことを表している)
前回、「れいわ新選組」から障害を持った候補者が二人当選したのは良いが、その後の二人の行状が報告されないのは問題だ。何のニュースにもならず、話題にも上らないのは「れいわ」の山本太郎の責任でもある。こういうことをちゃんと積み上げていってこそ、政治に対する注目度が増し、関心が高まるというもの。
4月に衆院議員を辞職し、夏の参院選にくら替えし、蓮舫氏や元おニャン子クラブの生稲晃子氏、作家の乙武洋匡氏ら高い知名度を誇る候補者がしのぎを削る超・激戦区の東京選挙区(改選6)から立候補。相変わらず孤軍奮闘して衰え知らず。“がんばれ~!”
オーストラリのように、投票を義務化して、果たせない人には罰金(特例を設けて)を科すというのが最もいい。
ともあれ、いろんなメディアが「投票マッチング」なるものをやっていて、質問に答えるだけで自分の意見に最も近い政党を選んでくれる。岸内閣の支持率が意外と高いし、野党はどうもハッキリしない上にピシッとしたリーダが居ない。反対のための反対をしているだけにしか見られていない。そんなところに票は集まりそうにない。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。